タイのホラー映画、なぜこんなに怖いのか

「あの映画、最後まで見られなかった」

タイホラーを見た人が、よくこんな話をする。

ハリウッドのホラーとは、何かが違う。血が飛び散るわけでも、ゾンビが走り回るわけでもない。でも、じわじわと追いかけてくる感覚がある。見た後しばらく、後ろを振り返れなくなるような、あの感じ。

タイホラーが怖い理由は、単純に「びっくりさせる演出」ではない。もっと深いところにある。東南アジア独自の霊的世界観が、映画の土台にしっかりと根を張っているからだ。

「ピー」と呼ばれる精霊。生者と死者の境界が曖昧な世界。現世と霊界が同じ空間に重なり合っているという感覚。そういったものが、映画の細部にまで染み込んでいる。

📺 ホラー・ミステリー作品をもっと見たい方へ

スカパー!ならホラー映画・実録ドキュメンタリー・ミステリー作品が見放題。お申込みから約30分で視聴可能、加入月は視聴料0円です。

※本記事のリンクから新規有料契約で当サイトに紹介料が入ります

この記事では、タイホラー映画がなぜあれほど独特な恐怖を生み出せるのか、その秘密を掘り下げていく。文化的な背景を知ると、映画の怖さが何倍にもなる。

読み終えた後、あなたはきっとタイホラーをもう一度見たくなる。そして、夜中に一人で画面に向かうことを少し後悔するかもしれない。


タイホラー映画とは何か|東南アジアの霊的世界観が生んだ恐怖

タイホラーとは、タイ(タイ王国)を拠点に制作されたホラー映画のジャンルのことだ。

1990年代後半から2000年代にかけて、タイのホラー映画は国際的に注目され始めた。その代表作として知られているのが『ナンナーク』(1999年)、『シャッター』(2004年)、『4bia』(2008年)、『ピー・マック プラカノン』(2013年)などだ。これらの作品は、アジア各国でヒットしただけでなく、欧米でもリメイクされている。

タイホラーの最大の特徴は、「霊が当たり前のようにそこにいる」世界観にある。

日本のホラーでも幽霊は登場するが、タイホラーの霊は少し違う。ただ怖い存在として描かれるのではなく、生者と同じ空間に「いて当然のもの」として扱われることが多い。霊は怒っていたり、悲しんでいたり、誰かを待っていたりする。人間と同じような感情を持つ存在として描かれる。

これはタイの宗教観と深く結びついている。タイ人の多くは上座部仏教(Theravada Buddhism)を信仰しているが、それと同時に、古来から伝わる精霊信仰も日常に溶け込んでいる。「ピー」と呼ばれる霊的存在への信仰は、タイ社会のあちこちに根づいている。

家の前に設置されたカラフルな「精霊の家(サーン・プラプーム)」を見たことがある人もいるかもしれない。あれはまさに、精霊を祀るための小さな神殿だ。現代のビルやショッピングモールの前にも普通に置かれている。タイでは霊的な存在への配慮が、生活の一部になっているのだ。

この「精霊の家」の習慣は単なる迷信ではなく、タイ社会に深く組み込まれた文化だ。引っ越しをするとき、新しいビジネスを始めるとき、建物を建てるとき。そういった節目に精霊の家を設置し、香を焚き、供え物をする。毎朝水を替えたり花を供えたりする人も多い。こういう日常的な行為が積み重なって、「霊はそこにいる」という感覚が当たり前のものになっている。

タイを旅行したことがある人なら、バンコクの大きなホテルの前にも必ず精霊の家があることに気づいたかもしれない。ヒルトンでも、シェラトンでも、そこには小さな祠がある。外国系の企業でも、タイで事業をするなら精霊の家は欠かせない、という認識がある。それくらい、霊的な世界観は現代タイ社会にも生きている。

そういう文化的土壌の上に生まれたのが、タイホラーという映画ジャンルだ。「ありえない話」ではなく、「日常の延長にある怖さ」として描かれる。だからこそ、見ている側はリアルな恐怖を感じる。


起源と歴史的背景|ピー信仰とタイ霊怪文化の長い歴史

タイのホラー映画の歴史を語るには、「ピー」という存在への理解が欠かせない。

「ピー」は、タイ語で霊や幽霊を指す言葉だ。ただ、日本語の「幽霊」とは少し意味が違う。ピーは人間の死者の霊だけではなく、自然界に宿る精霊、場所に憑く霊、特定の存在と結びついた霊など、幅広い霊的存在を含む。

タイには非常に多くの種類のピーがいると言われている。いくつか代表的なものを挙げてみる。

まず「ピー・ポープ」。人に憑いて内臓を食べるとも言われる、非常に恐れられた霊的存在だ。タイ東北部(イサーン地方)に伝わる伝承で、特定の家系に憑くとも言われている。この霊の恐ろしいところは、憑かれた本人が自覚していないこともある点だ。村では「ピー・ポープの家系」とされた家族が差別を受けるという、悲しい歴史も伝えられている。

次に「ピー・カスー」。首だけで飛び回るとされる霊で、内臓が垂れ下がった姿で描かれることが多い。タイだけでなく、マレーシアやインドネシアにも似た伝承が残っている。カプレ系の存在として知られる「ペナンガル」と同じ系統だとも言われている。主に夜の田園地帯に現れるとされ、農村部では今でも「見た」という話が出ることがある。

「ピー・ターイ・ホング」は、水中で溺死した者の霊で、他者を水中に引き込もうとするとされる。川や池での不審な溺死事故は、この霊の仕業だと語り継がれてきた。タイの子どもたちは昔から「川に近づきすぎてはいけない、ピー・ターイ・ホングに足を引っ張られる」と教えられてきたという。

「ナーンナーク」は、最も有名なタイの女性の霊だ。後述する映画の元ネタでもあるが、伝承は非常に古く、19世紀にさかのぼるとも言われている。出産中に亡くなった女性が、夫や子どもへの愛情から成仏できずに現れるという話だ。この伝承はバンコク郊外のプラカノン地区が舞台とされており、その地域の寺院には今でも関連するお守りや祠が残っている。観光客が手を合わせに訪れることもあるという。

「ピー・クラハン」というものもある。呪術師が使役する小さな精霊で、命令に従って人に害をなすとされる。タイ映画の中では、悪役の呪術師がこのピー・クラハンを操る、というシーンが登場することがある。黒魔術との関連が深い存在として描かれることが多い。

これらの霊的存在に関する伝承は、文字に書かれる前から口承(口から口へ伝えること)で受け継がれてきた。村の老人が語り、子どもたちが怖がりながら聞いた。そういう文化が、現代のホラー映画にも受け継がれている。

タイホラー映画の本格的なブームが起きたのは、1990年代末から2000年代だ。この時期、タイの映画産業全体が活性化し、クオリティの高い作品が次々と生まれた。その流れの中で、昔からある霊的伝承を現代的に再解釈したホラー作品が人気を博した。

特に重要なのが、1999年に公開された『ナンナーク』だ。前述のナーンナークの伝承を映画化したもので、タイ映画史上最高の興行収入を記録したとも言われている。霊の話でありながら、夫婦の愛情を描いたラブストーリーとして成立していて、ただ怖いだけでない複雑な余韻を残した。この作品が、「タイホラーはただのお化け映画ではない」という認識を広めたとも言えるだろう。

2000年代に入ると、『シャッター』(2004年)が国際的な注目を集めた。カメラの心霊写真というモチーフと、過去の罪と因果応報というテーマを組み合わせた作品で、後にアメリカでもリメイクされた。アジアホラー全体への関心が高まる中で、タイホラーも世界に知られるようになった。

この作品の怖さの根底にあるのも、「見てはいけないものが写ってしまう」という感覚だ。カメラのフィルムという、リアルな日常道具が恐怖の媒介になる。スマートフォンの普及した今でも、夜に撮った写真の隅に「何か」が写っていないかと確認してしまう人は少なくないはずだ。


実際の証言・目撃情報・体験談|映画を超えたリアルな恐怖

タイホラーが単なる「作り物の怖さ」にとどまらない理由の一つは、現実の体験談と地続きであることだ。

タイでは、霊的な体験を語ることが日本より一般的とも言われている。「見た」「感じた」「何かがいた」という話を、普通の会話の中でする人が少なくない。以下に、実際に語られてきた体験談や証言の例を紹介する。

あるタイ人の女性(30代・バンコク在住)が語ったという話がある。彼女の叔母が亡くなった後、自宅のリビングで「誰かが歩いている音」が毎晩聞こえるようになったという。音は階段を上り、叔母が使っていた部屋に向かっていたそうだ。家族全員が同じ音を聞いており、「叔母が帰ってきている」と話し合ったという。怖いというより、「まだそこにいる」という感覚があったと彼女は語っていた。

怖がって逃げるのではなく、「いるなら仕方ない」と受け入れる。この感覚は日本人とは少し違う。タイでは霊的な存在への恐怖より、「礼を尽くせば問題ない」という感覚の方が強いことが多い。だからこそ、霊体験を語るときに、どこかゆったりした口調になることがある。

別の体験談は、タイのリゾートホテルで働く男性(40代)からのものだと伝えられている。彼はあるフロアの特定の部屋を担当することになったとき、深夜に廊下の端に「人が立っている」のを見た。近づくと消えてしまい、翌朝同僚に話すと「その部屋は昔、事故があった」と教えられたという。それからその部屋への宿泊客が「壁に人影が映っていた」とフロントに訴えてくることが度々あったと言われている。

タイのホテルやリゾートでは、霊的なトラブルに対応するための「対策」が講じられていることもある。部屋の入口に特定のお守りを置いたり、怪奇が続く部屋には僧侶を呼んでお祓いを行ったりすることがある。これは都市伝説ではなく、実際に行われている慣習だという話も伝えられている。

もう一つは、タイの地方寺院での話だ。田舎の古い寺では、境内に「ピーを祀る木」があることがある。その木を切ろうとした業者が、夜中に熱を出して倒れたという話は珍しくないとも言われている。地元の人は「木に住むピーが怒った」と解釈し、木はそのままにされることになった、という話が各地に伝わっている。

こういった体験談は、「タイ人は信じているから見える」という側面もあるかもしれない。でも、それ自体がすでに怖い。信じることで霊的体験が生まれるとしたら、タイ社会全体が霊的体験を「準備された状態」で生きているということになる。

タイホラー映画の多くは、こういった民間に伝わる体験談や実際の怪奇事件を下敷きにして作られているとも言われている。完全なフィクションではなく、「どこかで実際にあったかもしれない話」として語られるから、見る側も「もしかしたら」と感じてしまう。

特に有名なのが、バンコク近郊のマハーカン地区にあるとされる「幽霊マンション」の話だ。かつてそのマンションで集団自殺があったとも言われており、住民が次々と怪奇体験を語ったという。地元紙でも報道されたとされるこの話は、後にホラー短編映画のインスピレーションになったとも伝えられている。

タイには「幽霊スポット」と呼ばれる場所が各地に存在する。廃病院、廃墟になったホテル、古い刑務所の跡地。そういった場所には「行ってはいけない」という噂が立ち、夜中に肝試しに出かけた若者が「何か」を見て逃げ帰ったという話が絶えない。SNSでそういった場所の写真や動画が拡散されるたびに、「何かが写っている」「背景に誰かが立っている」という話がコメント欄を賑わせる。

こういう現代的な文脈でも、ピーへの信仰と怪奇体験は生き続けている。映画の外の世界にも、タイホラーの「素材」は尽きないのだ。


科学的・民俗学的考察|なぜタイの霊は「日常」に存在するのか

タイホラーが怖い理由を、民俗学(民間伝承を研究する学問)や心理学の視点から考えると、面白いことが見えてくる。

まず、タイの霊的世界観の特徴として「境界の曖昧さ」が挙げられる。

日本の幽霊観では、「死者は別の場所にいる」という感覚がある程度ある。成仏するかしないかの違いはあれど、基本的に生者の世界と死者の世界には境界がある、という認識が根底にある。

ところがタイの霊的世界観では、生者と死者の世界の境界がもっと薄いとも言われている。霊は「どこか遠くの別の場所」にいるのではなく、私たちと同じ空間に「今も」存在しているという感覚に近い。ピーの家(精霊の家)を家の敷地内に置くのは、霊的存在が常に近くにいるという前提があってのことだ。

民俗学者たちはこれを「境界的存在(liminal beings)」という概念で説明することがある。生と死の境界、現世と霊界の境界、この世とあの世の境界。タイの霊は、そういった「あいだ」に存在する。境界は曖昧で、どちらにも属せない存在が、最も不安定で最も怖い。

「境界」というものが持つ不安感は、世界中の民俗学に共通するテーマでもある。夜明けと日暮れ、季節の変わり目、橋の上、川岸。どこかとどこかの「あいだ」は、霊的に危うい場所とされる文化が多い。タイでも川や池のほとりが特に霊と関係が深いとされているのも、この「境界」の感覚と重なっている。

心理学的な観点から見ると、「慣れ親しんだものが変質する恐怖」という説明もできる。

タイホラーでよく使われるのは、家族・恋人・友人といった「身近な存在が実は霊だった」というパターンだ。ナーンナークもそうだし、『シャッター』のゴーストも、かつての被害者という身近な存在として描かれる。愛する人が実は生者ではなかった、という展開は、見知らぬ怪物が現れるよりもずっと深い恐怖を呼び起こす。

これは心理学で「アンキャニーバレー(不気味の谷)」と呼ばれる現象に近い。人間に似ているが少しだけ違う、という存在が最も不快感と恐怖を生む、という理論だ。完全に異質なものより、「ほとんど普通なのに何かがおかしい」という存在の方が怖い。タイホラーのキャラクターたちは、この「ほとんど普通だけど何かがおかしい」を非常に巧みに表現している。

よく見かけるシーン——明るいはずの昼間に、横顔が少しおかしい女性が立っている。話しかけると普通に返事をする。でも振り返ったときに、何かが違う。このじわじわとした違和感が積み重なっていく構造が、タイホラーは得意だ。

また、上座部仏教の「因果応報」思想がタイホラーに深く影響しているとも言われている。「悪いことをすれば悪い結果が返ってくる」という考え方だ。タイホラーの多くは、主人公や登場人物の「過去の罪」「隠した秘密」「誰かへの裏切り」が霊的な形で返ってくる、というプロットを持つ。『シャッター』の主人公も、過去の罪が写真という形で記録され続けた、というストーリーだ。

こうした因果応報の構造は、見ている側に「もし自分が同じことをしたら」という想像を促す。霊の話でありながら、道徳的な問いを突きつけてくる。それが単なる「びっくり映画」との大きな違いだ。

さらに、タイホラーには「女性の霊」が非常に多く登場するという特徴がある。これは民俗学的には、社会的に抑圧されてきた女性の声が、霊という形で「現れる」という解釈もできるとされている。ナーンナークも、出産中に亡くなった女性の霊だ。夫への愛情から離れられない、という設定には、当時の社会における女性の置かれた立場が反映されているという見方もある。

出産という行為は、かつてはそれ自体が命がけだった。医療が発達していない時代、お産で亡くなる女性は珍しくなかった。その無念と悲しみが、伝承の形で語り継がれてきた。ナーンナークの物語が何百年も生き続けてきた背景には、そういった歴史的な重さがある。

民俗学的にもう一つ興味深いのは、タイの霊信仰が「仏教以前」の信仰と混ざり合っている点だ。タイに仏教が伝わったのはおおよそ13世紀ごろとされているが、ピー信仰はそれ以前から存在していたとされる。アニミズム(自然物や現象に霊的な存在が宿るという信仰)に根ざした古い信仰が、仏教と混ざり合い、独自の霊的世界観を形成した。

「仏教的な輪廻転生の考え方」と「アニミズム的な精霊信仰」が共存しているから、タイの霊的世界観は複層的だ。死んだらどこへ行くのか。修行が足りなければ霊として留まる。怒りや未練を抱えたまま死ねばピーになる。そういった考え方が重なり合っている。だからこそ、映画の中の霊の存在も、単純な「お化け」ではない深みを持つ。


現代における意味|なぜタイホラーは今も語り継がれるのか

インターネットが普及し、SNSが日常になった現代でも、タイホラーは衰えを知らない。むしろ、配信サービスやYouTubeを通じて、世界中により広まっている。なぜタイホラーは今も多くの人を引きつけるのか。

一つは、「普遍的な恐怖」を扱っているからだと思う。

死んだ人が愛する人のそばを離れられない、過去の罪が追いかけてくる、見えない存在が同じ空間にいる。これらは、タイ特有の話ではない。文化を超えて人間が感じる、根源的な恐怖だ。タイという文化的背景が味付けをしているが、本質的なテーマは世界共通だ。

もう一つは、「感情的な深さ」だ。

タイホラーはただ怖いだけでなく、泣けることが多い。ナーンナークは愛の話だ。夫を愛するあまり、死んでいることを認められない女性の悲しみが描かれる。怖い話であると同時に、切ない話でもある。そのアンバランスさが、見た後も記憶に残る。

日本のJ-ホラーブームが2000年代に一段落したあと、アジアホラー全体への注目がタイに移ってきたという流れもある。『リング』や『呪怨』のような「暗い場所から来る何か」という恐怖から、タイホラーの「ごく日常の中に霊がいる」という恐怖へのシフトが起きた。見ている側は、見慣れたアパートや日常の風景の中に恐怖を見出すようになった。

近年では、Netflixなどの配信プラットフォームでタイのホラードラマシリーズも人気を博している。『ホーンターン:4bia』の流れを汲む短編ホラーアンソロジー形式の作品や、タイの民間伝承を再解釈した長編シリーズが次々と制作されている。

2020年代に入ってからも、タイホラーの文化的影響力は増している。タイの若いクリエイターたちが、SNSや短編動画プラットフォームで「ピー」や怪奇伝承を題材にしたコンテンツを次々と発信している。伝統的な霊的世界観が、デジタルの形で若い世代に伝承されているとも言えるだろう。

TikTokやYouTubeショートでは、タイの「怖い場所」を訪れる動画や、「実際に撮れてしまった心霊映像」とされるものが高い再生数を稼いでいる。コメント欄は「本当にある話」「私も同じことがあった」という体験談で溢れることがある。デジタル時代においても、ピーへの信仰と霊的体験への関心は薄れていない。

また、タイのホラー観光も注目を集めている。バンコクや地方の「幽霊スポット」を巡るツアーが存在するとも言われており、怖さと文化体験を同時に求める観光客が訪れるという。映画の舞台になった場所を実際に訪れることで、フィクションとリアルの境界がさらに曖昧になっていく。

タイホラーが語り継がれる最大の理由は、それが「死者を忘れないための文化」と深く結びついているからかもしれない。ピーを祀り、精霊の家を作り、亡くなった人の霊に食べ物を供える。そういった行為は、死んだ人への敬意と、霊的なつながりを保とうとする人間の本能から来ているとも言われている。

ホラー映画を通じて「怖い思いをする」ことは、見えない世界の存在を一時的に体感することでもある。怖いと感じることで、普段は気にしない「死」や「霊的な世界」というものをリアルに想像できる。タイホラーは、娯楽であると同時に、そういった想像力を刺激する装置でもあるのかもしれない。

「怖い話を聞くと、死について考える」というのは、世界中に共通する感覚だ。古来から人間は焚き火を囲んで怪談を語ってきた。タイホラーは現代版の「焚き火を囲む怪談」として機能している。見知らぬ他人と「怖い」を共有することで、人は一時的にでも死の問いと向き合う。それは決して悪いことではないと思う。


タイホラー映画のここが怖い|邦画・洋画との違いを徹底比較

タイホラーと他国のホラーでは、何がどう違うのか。少し具体的に比較してみたい。

まず洋画(主にアメリカのホラー)との違いから。

アメリカのホラーは、スプラッター(血や暴力描写)とジャンプスケア(突然大きな音や映像で驚かせる手法)に頼ることが多い。モンスター、殺人鬼、ゾンビ。こういった「外から来る脅威」が主役になる作品が多い。解決策も比較的明確で、「戦う」か「逃げる」かのどちらかが多い。

アメリカのホラーが「戦って打ち勝つ」物語になりやすいのは、アメリカ文化における「個人の強さ」への信仰と関係があるとも言われている。モンスターは倒せる、悪は克服できる。そういった楽観的な世界観が底流にある。だからこそ、霊的な恐怖も「解決できるもの」として描かれやすい。

タイホラーはその点が根本的に違う。脅威は「外から来る」ものではなく、「すでにそこにある」ことが多い。逃げても意味がない。なぜなら、霊は場所や関係性に縛られているからだ。逃げれば逃げるほど追ってくる、というパターンも多い。解決策は「戦う」ではなく「向き合う」「謝る」「受け入れる」になることが多い。これは、仏教的な考え方と重なっている。

日本のJ-ホラーとの違いはどうだろう。

J-ホラーとタイホラーは、霊が「怒りや執念」を持つという点では似ている。どちらも「生前に何かを抱えたまま死んだ者」が霊として現れるパターンが多い。ただ、大きな違いがある。J-ホラーの霊は往々にして「もはや人間ではない何か」になっていることが多い。貞子も伽椰子も、「かつて人間だった」という面影はあっても、すでに恐怖の象徴として機能している。

貞子の動きを思い出してほしい。あれは人間の動きではない。不自然な関節、這い寄ってくる姿勢。人間から完全に逸脱した存在として描かれることで、「これは霊だ」ということが視覚的に明確になっている。

タイホラーの霊は、もっと「人間くさい」ことが多い。愛情、嫉妬、悲しみ、後悔。そういった感情を持ったまま霊になっている。ナーンナークが典型だが、「この霊は何を感じているのか」「なぜ成仏できないのか」という感情的なバックグラウンドが丁寧に描かれることが多い。その分、怖さの中に「かわいそう」という気持ちが混じることも多い。

これは見る側にとって、ある種の混乱を生む。怖いのに泣けてしまう。怒りを感じるのに、同情もしてしまう。その感情の揺れが、タイホラーの後味の長さにつながっている。

タイホラーには、コメディ要素が入ることも珍しくない。『ピー・マック プラカノン』は、ナーンナークの伝承を下敷きにしたホラーコメディで、タイ映画史上最高の興行収入を記録したとされる作品だ。「怖い」と「笑える」を同時に成立させる感覚は、タイ文化が霊的な存在を「恐怖の対象」だけでなく「日常の一部」として受け入れているからこそ生まれるとも言えるだろう。

日本でも落語に幽霊が登場する噺があるように、「怖い存在を笑いに変える」文化はある。ただタイのホラーコメディは、笑いを挟んでも怖さを失わないバランス感覚が独特だ。笑った次の瞬間にゾッとさせる。そのメリハリが見事だと言われている。

また、タイホラーでは「現地のビジュアル」が恐怖を高める要素になっている。熱帯の夜の空気感、密林の闇、古い木造の家屋、川岸のランタン。そういった東南アジア独特の視覚的要素が、見ている側にとっては「よく知らない場所の怖さ」を演出する。見知らぬ土地の風景は、それだけで不安と興味を同時に呼び起こす。

タイホラーの美術と照明も特徴的だ。青みがかった暗い色調、過剰なほど鮮やかな花や供え物、寺院の装飾。聖と俗、美しさと禍々しさが同じ画面に共存している。この「きれいだけど怖い」という視覚的な二重性が、タイホラーの独特の雰囲気を作り出している。

音楽の使い方も大きな違いがある。ハリウッドホラーは「ここで怖い」と教えるような音楽が流れることが多い。タイホラーはむしろ音楽を使わない、あるいは静寂を使う場面が多い。風の音、虫の声、遠くの水の音。そういった自然の音だけが流れる中で、何かが起きる。この静けさの恐怖は、タイの自然環境とも関係している気がする。


まとめ|タイホラーが教えてくれること

タイホラー映画が持つ独特の怖さは、単なる映像技術や演出の話ではない。

その土台には、何百年もかけて育まれてきた「霊的世界観」がある。ピーの存在を信じ、精霊の家を作り、亡くなった人のことを日常的に思う文化。生者と死者の境界が薄い世界。そういった文化的背景が、映画の細部にまで影響を与えている。

タイホラーの「怖さ」は、おそらくこんな要素から成り立っているとも言えるだろう。

「日常の延長にある恐怖」——霊は遠い場所ではなく、自分のすぐそばにいる。

「感情を持つ霊」——ただ怖いだけでなく、悲しくて、切ない。

「因果応報の構造」——過去の罪が必ず返ってくる、という道徳的な問い。

「境界の曖昧さ」——生と死、現世と霊界の境界が薄い世界観。

これらが組み合わさることで、タイホラーは見た後もしばらく頭から離れない余韻を残す。エンドロールが終わっても、「もしかして今の自分のすぐそばにも……」という感覚が消えない。それがタイホラーの本当の怖さだ。

タイの霊的文化を知れば知るほど、映画が「ただのフィクション」には思えなくなってくる。そしてそれこそが、タイホラーが世界中で愛され続けている理由なのかもしれない。

タイを旅行する機会があれば、ぜひ路上の精霊の家を見てほしい。お供え物が新しければ、今日もそこに誰かがお参りしたということだ。映画の世界ではなく、現実のタイに、霊への敬意は生きている。

そのことを頭の片隅に置いてタイホラーを見ると、全然違う映画に見えてくる。ただのホラー映画ではなく、ある文化が「見えないものとどう向き合ってきたか」の記録として。

あなたもぜひ、タイホラーを見てほしい。できれば昼間に。できれば一人じゃなく誰かと一緒に。

そして見終わった後、部屋の隅を確認するかどうかは、あなた次第だ。

📚 この記事に関連する本・DVD

※Amazonアソシエイトリンクを使用しています

スカパー!
おすすめの記事