シンヤだ。夜中にぴったりのネタ持ってきたよ。アテネの地下に広がる巨大な墓所——カタコンベって聞いたことあるか?古代ギリシャの時代から存在してて、今でも全貌がわかってないらしいんだけどさ。これがまた面白くてさ。
世界の地下都市とカタコンベ|地下に広がる隠された空間
人類は太古から地下空間を利用してきた。宗教的な聖域として、避難の場として、死者を葬る場所として。地上の歴史書には載らない「もう一つの歴史」が、今も地の底に静かに残っている。
俺が地下空間にハマったのは、ある夜にパリの地下探検の記録映像を見てからだ。懐中電灯一本で真っ暗なトンネルに潜っていく映像なんだけど、壁一面に骸骨が積み上げられている光景を見て、「人間って昔からこんなことやってたのか」とゾッとしたんだよな。でも同時に、そこには確かに「生きていた人たちの時間」が詰まっていて、怖さより先に興味が勝ってしまった。今回はそういう場所の話をしたい。
地下空間に惹かれてきた人間の歴史
地下に潜ること自体、人間にとっては本能的に「怖い」行為のはずだ。光がない。逃げ場がない。何がいるかわからない。それでも古代の人たちは掘った。
理由はいくつかある。一つは「地上から隠れる」ため。戦争や迫害から逃れるために地下に都市を作った民族は世界中にいる。もう一つは「死者を安置する」ため。古代ローマやキリスト教の迫害下にあった初期信者たちは、地下に墓を掘って礼拝の場所にした。そして三つ目は、単純に「採掘」だ。石や鉱物を掘っていったら、気づけば巨大な地下空間になっていたというケースが多い。
どのパターンも、最初から「地下都市を作ろう」と計画したわけじゃない。必要に迫られて掘り続けた結果、気づいたら都市になっていた——そこがまた面白いんだよな。
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パリのカタコンベ
パリの地下には約300kmに及ぶ採石場跡のトンネルが眠っている。18世紀、市内の墓地が限界を超え、行き場を失った約600万人分の遺骨がこの地下へと移された。今も一般公開されているのはほんの一部で、非公開区間への立ち入りは違法だ。それでも「カタフィル」と呼ばれる探検者たちは今夜もどこかで潜っている。
600万人の骨が眠る「死の帝国」
パリのカタコンベで一番インパクトがあるのは、骨の「積み方」だ。ただ積んであるんじゃなくて、壁一面にきれいに整列されている。大腿骨と頭蓋骨を交互に並べて模様を作っていたりする。見た瞬間、「これは人間の仕事だ」とわかる。誰かが丁寧に、一本一本並べた。
18世紀のパリはとにかく衛生状態が悪かった。セーヌ川沿いの墓地は満杯になって、遺体が地上に溢れ始めた。感染症の原因にもなっていたらしい。そこで当局が目をつけたのが、市内の採石場跡だった。石灰岩を採掘した後に残った広大な地下空間に、遺骨を移していこうというわけだ。
1786年から始まったこの移骨作業は、20年以上かけて行われた。最終的に約600万人分の遺骨が地下に収められたとされている。パリの人口が現在約200万人だから、その3倍の人たちが地下に眠っているってことだ。
公式な観光ルートは入口から出口まで約2kmほど。それに対して、地下全体のトンネルは約300kmある。つまり観光客が歩けるのは全体の1%にも満たない。残りの99%は非公開、または迷宮と化した「未開区域」だ。
カタフィルと呼ばれる地下探検家たち
フランスには「カタフィル(Cataphile)」という言葉がある。パリの非公開地下区域に無断で潜入する探検家たちのことだ。学生、アーティスト、歴史好き——職業はバラバラだけど、共通しているのは「地上の規則より地下の自由を選ぶ」精神だ。
非公開区域への立ち入りは当然違法で、見つかれば罰金を取られる。それでも毎晩のように誰かが潜っているらしい。地下に「秘密のバー」があったり、壁にアート作品が描かれていたりする。警察がガサ入れをかけることもあるが、広すぎて追いきれないのが現状だという。
怖いのは迷子になることで、実際に出られなくなって死亡したケースもある。1970年代、非公開区域に潜った若者2人が戻ってこなかった事件が有名だ。遺体が発見されたのは3年後のこと。骨格だけになった状態で、出口から遠く離れた場所で見つかった。地図なしで入ったら最後、本当に出られないトンネルが続いているんだよな。
トルコのデリンクユ地下都市
カッパドキア地方に、地下8層・深さ約85メートルまで掘り下げられた古代の地下都市がある。最大2万人が暮らせる規模で、換気の仕組みも井戸も教会もワイン醸造所まであった。地上の敵から逃れるために掘られたと言われているが、これだけの構造を当時の人間がどうやって作ったのか、正直いまだに想像がつかない。
誰が、いつ、なぜ掘ったのか
デリンクユが世間に知られたのは1963年のことだ。地元の農家が地下室の壁を壊したら、その奥にトンネルが続いていることに気づいた。調査を進めると、そこは想像をはるかに超えた規模の地下都市だった。
現在確認されているだけで地下8層。最深部は地下約85メートル。居住スペース、食料貯蔵庫、厩舎、礼拝堂、学校、墓、ワイン醸造所。必要なものがすべて揃っている。長期間の籠城を想定した設計だ。
入口は約600箇所あるとも言われていて、地上からは気づかれにくい小さな穴や、民家の床の下に隠されている。そして内側から「石の扉」で閉じられる構造になっている。直径1〜2メートルほどの円形の巨大な石を転がして出入口をふさぐ仕組みで、外からは絶対に開けられない。
誰が作ったのかについては諸説ある。ヒッタイト人説、フリュギア人説、初期キリスト教徒説。正確な年代も確定していなくて、紀元前7〜8世紀という見方もあれば、もっと古いという意見もある。2万人が暮らせる地下都市を、電動工具も重機もない時代に作り上げた——その事実だけでも十分すぎるほど謎だ。
隣の地下都市とつながっていた
さらに驚くのが、デリンクユだけじゃないという話だ。カッパドキア地方にはこうした地下都市が200以上発見されている。そのうちいくつかは地下トンネルで繋がっていて、デリンクユとカイマクル(別の地下都市)の間には約8kmのトンネルがあったとも言われている。
もしこれが本当なら、地下に「街と街をつなぐ道路網」があったことになる。地上では敵が支配していても、地下では自由に移動できた。これはもう「地下国家」と呼んでいいレベルじゃないか。
現在も全体の調査は終わっていない。発掘が続いていて、新しいトンネルや部屋が今でも見つかっている。デリンクユの「本当の全貌」は、まだ誰も知らないというのが正直なところだ。
ローマのカタコンベ——信仰と死が交差する場所
パリやトルコの話をしたから、ローマのカタコンベも触れておきたい。
ローマには市内だけで60以上のカタコンベが確認されている。総延長は約150〜170kmとも言われている。もともとはローマ時代の火山性岩石(凝灰岩)の採石場跡を使ったものが多く、1〜5世紀にかけて初期キリスト教徒の墓として使われた。
当時のローマではキリスト教は迫害されていた。公開の場での礼拝は命がけだった。だから地下に潜った。墓に集まり、暗闇の中で礼拝し、死者を弔った。今のカタコンベの壁には当時描かれたフレスコ画が残っている。ロウソクの煤で黒くなりながらも、魚や鳩を描いた絵が1,800年後の今も残っている。
「なぜ魚なのか」というと、ギリシャ語で「魚(IXΘΥΣ:イクトゥス)」がキリストの略号として使われていたからだ。迫害を逃れるための隠語だったわけで、こういう「暗号」が壁に残っているのが面白い。
カタコンベの中には「ルキナのカタコンベ」のように、壁画の保存状態が特によいものがある。赤・緑・黄色の顔料が今も鮮やかに残っていて、「どうやってこの色が千数百年も持ったんだ」と不思議になる。地下の安定した温度と湿度が、偶然にも保存に適した環境を作っていたらしい。地下の暗闇が、逆説的に歴史を守ったということになる。
アメリカ・シアトルの「一つ下の街」
地下都市の話は古代や中世だけじゃない。アメリカのシアトルにも、地上の真下に「もう一つの街」が存在している。
1889年、シアトルは大火災に見舞われた。木造建築が密集していた旧市街はほぼ全滅した。復興にあたって市は「道路を今より1〜2階分高く作り直す」という大胆な方針をとった。新しい道路と建物が旧市街の上に被さるように建設されたため、もとの1階部分が地下に埋没してしまった。
面白いのは、この移行期間に「地上の新しい道路」と「古い1階部分」が同時に使われていたことだ。地上の歩道が完成するまでの数年間、人々は古い地下の通路を使って移動していた。日中は普通に商店が営業し、夜になると犯罪の温床にもなったらしい。その後、完全に封鎖されて、19世紀のまま時間が止まった街が地下に残された。
現在は「ビル・スパイデルのアンダーグラウンド・ツアー」という名前で観光客に開放されている。当時の店の看板、床材、レンガ造りの壁——リフォームされることなく、そのまま残っている空間だ。「廃墟」というより「凍りついた日常」という感じが、体験した人たちには刺さるらしい。ガイドの解説が面白いと評判で、シアトル観光の穴場スポットとして知られている。
エジンバラの地下都市——市街地の真下に眠る別の街
スコットランドの首都エジンバラにも、地下に「もう一つの街」が存在する。
エジンバラの旧市街は17世紀頃から急激に人口が増えた。土地が限られていたため、縦に伸びるしかなかった。最終的に14階建て相当のビルが当時の最先端だったらしい。だが急増する人口に対して街は追いつかなかった。
18世紀末、新しい橋(サウスブリッジ)が建設されたとき、その橋の下の空間に部屋を作った。橋の橋脚の中に住居、店、作業場が作られたんだ。最初は普通の商業施設として使われていたが、次第に貧民が集まる「地下街」になっていった。
疫病や火災が繰り返され、ある時期から完全に封鎖された。そのまま300年近く放置されて、上に新しい建物が建てられた。「消えた街」が地下に丸ごと残っているわけだ。
現在はツアー観光が行われている。実際に行った人の話を聞くと、「生活用品がそのまま残っていた」「当時の落書きが壁に残っていた」という証言が多い。心霊スポットとしても有名で、ポルターガイスト現象の報告が他の場所に比べて圧倒的に多いという調査結果もある(エジンバラ大学の研究)。
ポーランドの岩塩坑「ヴィエリチカ」——地下に作られた大聖堂
地下空間の話で外せないのが、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑だ。
深さ327メートル、総延長300km以上の坑道が広がるこの塩鉱山は、700年以上にわたって採掘が続けられた。面白いのは、坑夫たちが「働く場所」に教会や礼拝堂を作り始めたことだ。塩岩を彫って像を作り、床にも天井にも壁にも、すべて塩の彫刻で飾った。シャンデリアまで塩でできている。
現在も残る「聖キンガ礼拝堂」は、地下101メートルに位置する巨大な空間だ。高さ約12メートル、縦54メートル、横18メートル。最後の晩餐のレリーフ、ヨハネ・パウロ2世の像、巨大なシャンデリア——すべて塩岩を削り出して作られている。ここまでくると「芸術作品」という言葉しか出てこない。
1978年にユネスコの世界遺産に登録されていて、年間100万人以上が訪れる。地下空間の観光地としては世界でもトップクラスの人気だ。「地下に降りると別世界がある」という感覚を最も強く体験できる場所の一つだと思う。温度は一年中約14度で安定していて、地下に下るほど外の世界の騒音が消えていく——その感覚は独特らしい。
もう一つ面白いのは、塩坑内の空気が健康にいいとされていて、現在も「塩療法(ハロセラピー)」を目的に訪れる人がいることだ。塩分を含んだ乾燥した空気が呼吸器に良いという話で、坑内にはサナトリウムが設置されていた時代もある。「死者の墓」ではなく「生きる人の療養地」として使われた地下空間というのも、また違った視点だ。
戦争と地下空間——地下に潜って生き延びた人たちの記録
地下空間を語るとき、戦争の話は避けられない。
第二次世界大戦中、イギリスのロンドンでは地下鉄の駅がそのまま防空壕として使われた。ドイツ軍の空爆が激しかった1940〜41年頃、毎晩10万人以上がロンドンの地下鉄構内で夜を明かしていたという記録がある。プラットフォームに毛布を敷いて、列車が来る度に足をどかして、また横になる。そういう生活が何ヶ月も続いた。
地下での「共同生活」が生まれ、コミュニティができた。食料を分け合い、子供たちに読み聞かせをし、音楽を演奏した。後に「ブリッツ・スピリット(空爆精神)」と呼ばれる連帯感の多くは、この地下鉄の暗闇の中で育まれたものだとも言われている。
ベトナム戦争時には、クチというエリアに全長約250kmの地下トンネル網が張り巡らされた。南ベトナム解放戦線(ベトコン)が数十年かけて手で掘ったものだ。幅は人一人がやっと通れる程度しかない。台所、病院、司令部、学校まで地下に作られていた。アメリカ軍の空爆を逃れて、地下で出産した女性もいたという。
現在クチのトンネルは観光地になっていて、実際に一部を体験できる。観光用に少し広く作り直されたトンネルでも、かなり狭くて暗い。これの「本物サイズ」で敵に追われながら移動していた人たちがいたわけで、それを想像すると言葉を失う。
日本でも、沖縄の旧日本軍が掘った坑道や、各地の防空壕が今も残っている。戦争が終わった後も、しばらくは閉鎖されず生活に使われていた場所もある。地下という空間は「生死の境界線」として機能していた時代が確かにあった。そのことを、今の自分たちは忘れがちだと思う。
日本の地下にも「謎の空間」はある
こういう話は海外だけじゃない。日本にも地下に関する話はある。
有名なのは東京の「地下謎」系の話だ。東京の地下鉄は現在13路線が走っているが、それとは別に「軍用トンネル」や「幻の路線」の話が定期的に出てくる。戦時中に掘られた防空壕のネットワークが今も地下に残っているという話や、GHQが戦後に封鎖した地下施設があるという説だ。
実際に「使われていない地下空間」が東京には多数存在することは確認されている。地下鉄工事の際に旧軍の施設の一部が見つかった事例もある。ただし、「巨大な地下都市がある」という話になると、現時点では都市伝説の域を出ない。
もう一つ面白いのが、高野山の奥之院に伝わる「地下への通路」の話だ。空海(弘法大師)が入定した場所として知られる奥之院だが、「地下に続く道がある」という伝承が地元には残っている。もちろん一般人は入れないし、確認する方法もない。でもこういう「実在とも伝説ともつかない」話が日本にもちゃんとある。
沖縄にも旧日本軍が掘ったガマ(洞窟)が各地に残っている。糸数壕(アブチラガマ)など一部は見学できるが、暗さと湿度と「ここで何が起きたか」という事実の重さで、単なる洞窟見学とは全然違う空気がある。行ったことのある人が「二度と入りたくない」と言う一方で「一度は体験すべき場所」とも言う——その両方が正しいと思う。
ダークツーリズムという視点
地下空間の観光には「ダークツーリズム」という言葉がついてまわる。
ダークツーリズムとは、死や悲劇にまつわる場所を訪れる旅行のことだ。カタコンベや地下都市はその代表格とも言える。最初に聞くと「なんでわざわざそんな場所に?」と思うかもしれないけど、実際に訪れた人の話は少し違う。
「ただ怖いを楽しみに行くわけじゃない。そこで死んでいった人たちのことをリアルに考えるきっかけになる」という声がよく聞かれる。教科書で読む歴史と、骨の積み上がった空間の中で感じる歴史はまったく別物だ、と。それは確かにそうかもしれない。
研究者の中には「ダークツーリズムは死についての理解を深め、生への感謝につながる」という意見もある。怖いから行く、ではなく、そこに残されたものを通じて過去の人間と向き合う——そういう旅の形がある。パリのカタコンベが年間60万人以上を集める人気スポットになっているのも、そういう「体験の質」が理由の一つだろう。
地下空間にまつわる「不思議な話」
地下空間に関わった人たちの証言には、共通して「感覚がおかしくなる」という話が出てくる。
パリのカタコンベを探検したカタフィルの一人はこう語っている。「地下に数時間いると、時間の感覚がなくなる。1時間が10分に感じたり、10分が1時間に感じたりする。光がないせいだと思うけど、頭の中で何かが変わる感じがする」
エジンバラの地下ツアーガイドをしていた女性は、「特定の部屋に入ると、急に体が重くなる感覚がある。最初は気のせいだと思っていたけど、同じ部屋で同じ感覚を報告する客が続くようになってから、気にするようになった」と話している。
科学的に説明するとすれば、地下空間特有の「低周波音(インフラサウンド)」の影響だという説がある。人間には聞こえない低い周波数の音が、不安感や奇妙な感覚を引き起こすことがあるらしい。古い石造りの空間はこの低周波音が発生しやすい条件が揃っているとも言われている。
だから「霊のせいだ」と断言するつもりはない。でも「何もない」とも言い切れない。そのグレーゾーンが、地下空間の面白さなんだよな。
もう一つ面白い話がある。完全な暗闇に長時間置かれた人間は、幻覚や幻聴を経験することがある。これは「感覚遮断(センサリー・デプリベーション)」と呼ばれる現象で、脳が刺激不足になると自分で映像や音を作り出してしまうんだ。古代の修行者が洞窟に籠もって「啓示を受けた」と言ったのも、実はこれが関係しているかもしれない。神秘体験と脳の仕組みの境目が、地下という空間の中にある。
地下に潜るとき——実際に体験できる場所
気になった人のために、実際に行ける場所を紹介しておく。
パリのカタコンベは公式観光スポットとして一般公開されている。入場チケットが必要で、事前予約が確実だ。シーズンによっては当日券が取れないこともある。観光ルートは約2kmで、所要時間は45分〜1時間程度。ヘッドライトや懐中電灯の持ち込みは不要だが、温度が低いので上着は必要だ。
トルコのデリンクユは現地ツアーに参加するのが一般的だ。カッパドキアへの旅行を組む際に組み込まれることが多い。地下8層のうち観光客が入れるのは上部の数層で、実際に入ると想像以上に狭いトンネルが続く。閉所恐怖症の人は事前に考えておいた方がいい。
エジンバラの地下ツアーは複数の会社が夜間ツアーを提供している。昼間より暗い雰囲気で楽しめるのが夜のツアーだが、子供向けでないため年齢制限がある場合もある。ガイドが歴史的な説明と心霊系の話を交えて案内してくれる。
日本でも「地下体験」ができる場所はある。東京の東京メトロが公式に行っている施設見学ツアーや、岩手の龍泉洞のような鍾乳洞が一番手軽だ。本物の地下空間の暗さや温度感は、写真や映像では絶対に伝わらない。一度体験してみると、地下空間に惹かれていった人たちの気持ちが少しわかる気がする。
沖縄のガマを見学するなら、ガイド付きツアーを強くすすめる。暗いだけでなく、歴史的な重みがある場所だからだ。ガイドなしで入るのと、背景を知った上で入るのとでは、まるで違う体験になる。
「まだ見つかっていない」地下空間がある
世界中で今も、地下空間の発見が続いている。
2014年、トルコのネブシェヒルで大規模な地下都市が発見された。デリンクユの倍以上の規模の可能性があるとされていて、「史上最大の地下都市かもしれない」と話題になった。現在も発掘調査が続いている。
2019年には、エジプトのルクソール近郊で古代エジプト時代の地下墓地が発見された。ミイラ化した遺体が数十体見つかり、副葬品の一部はまだ分析中だという。
中国の重慶では、市街地の地下に「迷路のような古代地下道」が存在することが最近になって明らかになった。三国時代の遺跡との関係が調査されているが、全貌はまだわかっていない。
2022年にはイスラエルのエルサレム近郊で、十字軍時代に掘られたとみられる地下トンネルが住宅街の地下から見つかった。誰も気づかないまま、民家の真下を通っていたらしい。こういうのが一番ゾッとする。「自分の家の下にも何かあるかもしれない」と思うと、急に地下が身近に感じられる。
地下というのは「掘ってみるまでわからない」場所だ。地上では誰もが通り過ぎている場所の真下に、何百年もの歴史が眠っていることがある。それが今もどこかで続いているという事実が、俺には一番興味深い。
地下という空間には、人間の恐怖と知恵が混ざり合った時間が詰まっている。地上の記録からこぼれ落ちた話が、暗闇の中にそのまま残っているんだ。
地下に眠る歴史ってのは、まだまだ俺たちの知らないことだらけなんだよな。パリのカタコンベ、デリンクユ、エジンバラ——どれも「人間が必死に生きた痕跡」でもある。怖いだけじゃなくて、なんか「すごいな人間って」とも思う。気になったやつは自分でも調べてみてくれ。シンヤでした、また次の夜に。