呪われたカセット、それとも伝説か
「スウィートホーム」というゲームを知っているだろうか。
1989年にカプコンがファミコン向けに発売したこのゲームは、今も一部のゲームマニアの間で語り継がれている。普通の意味で「名作」として語られているわけじゃない。どちらかというと、触れてはいけない何かのように、少しだけ声を落として話されることが多い。
このゲームには、いくつかの都市伝説がある。
「プレイすると不幸になる」「持っているだけで部屋が寒くなる」「クリアできずにカセットを手放した人間の話を聞いたことがある」——そんな話が、今でもネット上のあちこちで見かける。
もちろん、すべてが事実とは限らない。でも、なぜこれほどまでに語り継がれているのか。それには理由がある。ゲームの中身を知れば知るほど、あのゲームが「普通じゃなかった」ことがわかってくる。
都市伝説というのは、何もないところには生まれない。人々が語り継ぐためには、そこに語るに値する「核」がなければいけない。スウィートホームの場合、その核は複数ある。ゲームの内容そのもの。消えていった歴史。そして、誰も正式には語らない「空白」の部分だ。
今回は、スウィートホームにまつわる都市伝説と、その背景にある歴史を掘り下げてみる。信じるか信じないかは、最終的にあなた自身が判断してほしい。
スウィートホームとは何か——知られざる「元祖ホラーゲーム」の正体
まず、スウィートホームというゲームそのものの話をしておく必要がある。
このゲームは1989年12月15日にカプコンから発売された。ベースになっているのは、伊丹十三監督・脚本の映画「スウィートホーム」で、ゲームはその映画とタイアップして作られた。ゲームを発売したのが先ではなく、映画と同時期に展開されたメディアミックスの一つだった。
ジャンルで言えば、RPGだ。見た目はドラクエに近い。でも、内容はまったく違う。
プレイヤーは5人のキャラクターを連れて廃墟の洋館「間宮邸」を探索する。その洋館には、かつて子供を失った「間宮夫人」の幽霊が住んでいる。彼女の怒りと悲しみが館を支配しており、プレイヤーたちはその謎を解きながら脱出を目指す。
このゲームが「普通じゃない」のには、いくつかの理由がある。
まず、キャラクターは死ぬと二度と戻ってこない。今でこそ「ローグライク」とか「パーマデス」という言葉が定着しているが、1989年のファミコンゲームでそれをやったのは衝撃だった。操作を間違えると、自分が育ててきたキャラクターが永久に消えてしまう。
しかも、キャラクターそれぞれに固有の能力がある。カメラマンの「大ちゃん」はカメラで幽霊を撃退できる。医者の「アキコ」は仲間を回復できる。ライターの「ター坊」は松明で暗い場所を照らせる。5人の役割が絡み合ったパーティ編成が必要で、誰かが死ぬと攻略ルートそのものが詰まることもある。
次に、エンディングが5種類ある。5人全員が生き残るエンディングから、全滅エンディングまで。どのキャラクターが生き残るかによって結末が変わる。これも当時としては珍しい試みだった。
そして何より、内容が暗い。
館の中には死体がある。生きながら食われる描写がある。子供が死ぬシーンがある。当時の基準で言えば、かなりセンシティブな内容だった。ファミコンのゲームでここまでやるのか、という驚きが、このゲームを一種の「禁断の存在」として記憶させることになった。
館の探索中に遭遇する「間宮夫人」の攻撃は即死級のものが多い。ゲームとしての理不尽さが、プレイヤーに「このゲームは自分に対して容赦がない」という感覚を刷り込んでいく。理不尽な死の繰り返しが、プレイヤーを疲弊させ、同時に中毒にさせる。そういう構造を持っていた。
後にカプコンが発売した「バイオハザード」シリーズ——その原点となった設計思想が、このスウィートホームにあると言われている。洋館の探索、限られたアイテム、生き残りをかけた緊張感。そういった要素が、後のサバイバルホラーゲームのひな形になったとされている。
バイオハザードの生みの親である三上真司も、スウィートホームを参考にしたと語っていたという話がある。そう考えると、このゲームが「ホラーゲームの元祖」と呼ばれるのも、あながち誇張じゃない。
なぜ「幻の名作」と呼ばれるのか——消えた理由と語られ続ける謎
スウィートホームは今でも公式に再発売されていない。
バーチャルコンソールにもない。スマホアプリもない。リメイクの話もほとんど出てこない。「幻の名作」と呼ばれるのは、このゲームが現在の公式チャンネルでほとんど入手不可能だからだ。
なぜ再発売されないのか。
はっきりした理由は、カプコンから公式には語られていない。ただ、いくつかの説が「それっぽい理由」として語られている。
一つ目は、映画の版権問題だ。このゲームは映画のタイアップ商品として作られた。映画側の権利が複雑に絡んでいるため、ゲームだけを単独で再発売することが難しいのではないか——という説がある。
映画の権利は、監督・脚本家・出演者・制作会社など複数の権利者が絡む。伊丹十三監督は1997年に亡くなっている。その後、権利関係がさらに複雑になった可能性は十分にある。ゲームの版権と映画の版権を切り離して交渉するのが困難な状態になっているとすれば、再発売の話が進まないのも理解できる。
二つ目は、内容の問題だ。子供の死、遺体の描写、精神的な恐怖。今の基準で見ても、そのまま再発売するには修正が必要な表現が含まれている。修正すれば「当時の作品」としての価値が損なわれる。修正しなければリスクがある。そういうジレンマが再発売を難しくしている——という見方がある。
特に問題になりやすいのが、子供が関係する描写だ。「間宮夫人の子供」の悲劇がゲームの核心にある以上、その部分を削ることは物語そのものを壊すことになる。かといって、そのまま出すのも現代のコンプライアンス上に壁がある。
三つ目が、少し不思議な説だ。「カプコンが意図的に封印している」というもの。
スウィートホームには「呪われた」イメージがある。ゲームの内容そのものが呪いや祟りをテーマにしており、それが「このゲーム自体が何かを引き寄せる」という都市伝説に直結している。カプコン社内でも、このゲームに関わった人間に不幸があったという話が——真偽は不明ながら——ネット上で語られることがある。
証拠はない。ただ、語られ続けているのは事実だ。
そしてもう一つ、あまり指摘されないが重要な視点がある。「商業的な理由がない」という現実だ。
スウィートホームは日本でしか発売されなかった。海外市場向けのローカライズも行われていない。世界規模で見ると、バイオハザードと違って知名度が極めて低い。再発売してもビジネスとして成立しにくい——というシンプルな理由が、封印の一番の原因かもしれない。都市伝説よりも、経済合理性の方が「封印」に貢献している可能性がある。
もう一つ重要なのが、映画の話だ。
スウィートホームの原作映画「スウィートホーム」は、1989年に公開された日本映画だ。伊丹十三が監督し、宮本信子が主演した。この映画も、テレビ放映の機会がほとんどなく、ソフト化も一時期途絶えていた時期がある。
なぜ映画も見えにくい存在になっているのか。
一説には、映画に登場する「間宮夫人」のビジュアルがあまりに衝撃的で、放映に難があるとも言われている。また、ゲームと同様に、映画の内容自体が現代のコンプライアンス基準に引っかかる部分があるとも言われる。
映画の間宮夫人を演じたのは、特殊メイクを施した女優だった。そのビジュアルはゲームの中のドット絵よりも、はるかに具体的で生々しい。それを見た子供が恐怖のあまり泣き出したという話もある。80年代の映画表現は、今のホラー映画とは違う種類の「生々しさ」を持っていた。
映画もゲームも、どちらも「見えにくい存在」として時代のどこかに封じ込められている。その二重の「封印」感が、スウィートホームの都市伝説をより深いものにしている。
実際に語られた体験談——プレイヤーたちの証言
ここからは、実際に「体験した」として語られているエピソードをいくつか紹介したい。すべてが事実だとは言えない。でも、似たような話が複数のプレイヤーから独立して語られているのは、少し気になる。
「夢に館が出てくる」という報告
スウィートホームをプレイしたことがある人の中に、「ゲームをやめた後も館の夢を見る」という報告が少なくない。
これ自体は珍しくない。没入感の高いゲームをプレイすると夢に見ることはある。ただ、スウィートホームの場合は少し様子が違うと言う人もいる。単なる「ゲームの再現」ではなく、館の新しいエリアが夢の中に現れるとか、自分がキャラクターではなく「素の自分」として館にいる感覚があるとか、そういう話が出てくる。
あるプレイヤーは、ゲームをクリアしてから数週間後に、夢の中で「ゲームには登場しない地下室」を見たと語っている。目が覚めた後も、その場所の構造が頭から離れなかったという。壁の色、床の感触、どこからか聞こえてくる子供の声。それらがリアルすぎて、現実なのか夢なのかしばらく判断できなかったと言う。
別のプレイヤーは、夢の中で間宮夫人と向き合ったと語っている。ゲームのような戦闘ではなく、ただ廊下に立っている夫人と目が合った。夫人は何も言わなかった。ただこちらを見ていた。目が覚めたのは朝の4時で、その日は眠れなかったという。
偶然か、脳内の作り話か。それは判断できない。ただ、このゲームが「意識に残りやすい何か」を持っているのは確かなのかもしれない。
中古カセットにまつわる話
スウィートホームは今では中古市場でしか手に入らない。オークションサイトで見かけることもある。
その中古カセットに関する不思議な話がいくつかある。
「前の持ち主のセーブデータが残っていて、それが異常な内容だった」というのが一つ。スウィートホームにはセーブ機能があり、パスワード方式ではなくバッテリーバックアップで記録が残る。だから、中古で買えば前の人のデータがそのまま残っていることがある。
あるプレイヤーが中古で入手したカセットには、すべてのキャラクターが死亡した状態のセーブデータが残っていたという。全滅した状態のデータ。その持ち主はなぜ全滅した状態で電源を切り、そのカセットを手放したのか。
そのデータをロードしてみたら、音楽が鳴らなかった、という話もある。画面は表示されているのに、完全な無音。バグかもしれない。でも、全滅した後の沈黙だと思うと、なんとも言えない気持ちになる。
また別のケースでは、前の持ち主のデータにキャラクター名が「たすけて」と入力されていたというものがある。当時のファミコンRPGでは、キャラクターの名前を自由に変更できるものも多かった。誰かが冗談でそう入力したのかもしれない。でも、全滅したデータと組み合わさると、笑えない。
さらに別の話では、「入手したカセットが動かなかった」というものがある。端子をクリーニングしても、本体を変えても、電源が入らない。諦めて棚に置いておいたら、ある夜、本体に刺していないのにカセットが暖かくなっていた——という話が、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の旧スレッドに投稿されていたと言われている。
真偽は確認できない。でも、こういう話がゲームそのものの「禁忌感」を強めていくのは事実だ。
長尾さんの話
このブログのオーナーである長尾さんは、子供の頃にスウィートホームの存在を知ったという。実際にプレイしたのではなく、友人の兄が持っていたカセットを見せてもらっただけだったが、その時のことを今でも覚えているという。
「タイトル画面だけ見た。音楽が流れた瞬間に、なんか部屋の空気が変わった気がした。子供心に、これは触ってはいけないゲームだと思った」
スウィートホームのタイトル画面に流れる音楽は、他のファミコンゲームのそれとは明らかに異質だ。明るくも軽くもない。どこか重さがある。子供でも「普通じゃない」と感じる音楽だったのだろう。
そのカセットを持っていた友人の兄は、しばらくしてからゲームを手放したという。理由は「なんとなく嫌な感じがするから」だったそうだ。プレイしていて怖かったのか、それとも別の何かが理由だったのか、詳しくは聞けなかったという。
長尾さん自身は後年、エミュレーターでスウィートホームを体験したことがあると言う。「ゲーム自体はよくできていると思った。怖かったし、面白かった。でも、プレイしている間、なんとなく後ろを気にしてしまうような感覚があった。理由はわからない」とのことだった。
「特定の部屋に入った瞬間、キャラクターの動きが一瞬止まる場面があった。バグだと思う。でも、タイミングが良すぎて、意図的な演出なのか判断できなかった」とも語ってくれた。
それが「都市伝説の影響を受けた心理的なもの」なのか、「ゲームそのものの持つ何か」なのかは、本人にも判断できないという。
なぜこのゲームに怪談が生まれたのか——民俗学・心理学の視点から
スウィートホームにまつわる都市伝説を整理すると、いくつかのパターンに分けられる。
- プレイすると不幸になる・悪夢を見る
- 中古カセットに「前の持ち主の痕跡」が残っている
- ゲーム自体が封印・禁忌扱いされている
- 開発者・関係者に不幸があった
こうした話は、スウィートホームに限らず「呪われたゲーム」系の都市伝説に共通する構造を持っている。
民俗学的に言うと、これは「禁忌物語」の一種だ。
人間は昔から、ある種のモノやコトに「触れてはいけない」という感覚を持ってきた。それは宗教的なタブーであったり、共同体の生存本能から来るルールであったりする。神社の御神体に素手で触れてはいけない。山の神域に踏み込んではいけない。そういった禁忌の構造が、現代においてもゲームという形で再現されている。
「このゲームはヤバい」「呪われている」という話は、そういった古典的な禁忌感覚をゲームというメディアに投影したものとも言える。洋館という「人が普通は立ち入らない空間」を舞台にしたゲームだからこそ、その構造とうまく重なる。
心理学的には「バーナム効果」に近い働きもある。
バーナム効果とは、「誰にでも当てはまるような曖昧な言葉を、自分だけに当てはまると感じてしまう心理」のことだ。「プレイすると悪夢を見る」と聞いてからプレイすれば、少し変な夢を見た時に「あの話は本当だったんだ」と思いやすくなる。バイアスがかかっている状態で体験すれば、体験がバイアスを強化する。
また、「確証バイアス」という心理的傾向もある。人は自分がすでに信じていることを裏付ける情報を優先して拾う。「呪われたゲーム」だと思ってプレイすれば、ゲーム内の何気ない演出——突然の暗転、聞き慣れない音楽、操作への予期しない反応——がすべて「証拠」として見えてしまう。
ただ、それだけでスウィートホームの都市伝説が説明できるかというと、少し違うとも思う。
このゲームには、都市伝説が生まれやすい「素地」がある。
まず、内容が本物の意味で怖い。設計上、恐怖を引き出すように作られている。間宮夫人の設定は、子供を失った母親の怒りと悲しみという、人間の根源的な感情に触れている。「亡くなった子供への執着」というテーマは、どの文化においても強い恐怖と共感を生む。
柳田国男の民俗学的な観点から言えば、「子供の幽霊」は日本の怪談において特別な位置を占める。子供は「あの世とこの世の境界に近い存在」として捉えられてきた文化的背景がある。間宮夫人の物語は、「この世に未練を残した子供の死」と「その死を認めることができない母親」という二重の悲劇を持つ。これは日本人の霊観念に深く刺さる構造だ。
次に、再発売されないことで「謎」が保たれている。
手に入りにくいものには、神秘が宿りやすい。普通に流通していれば、「昔の怖いゲーム」で終わる話かもしれない。でも入手困難であることが、「なぜ封印されているのか」という疑問を生む。その疑問が都市伝説の温床になる。
さらに言えば、このゲームをリアルタイムで体験した世代が、今ちょうど「懐かしさ」と「怖さ」を語れる年齢に差し掛かっている。1989年当時に子供だった人は、今30代後半から40代だ。記憶の中で少し変形したエピソードが、ネット上で語られるようになる年齢でもある。
人間の記憶は、時間が経つほど感情的なインパクトが強い方向に変形しやすい。「ちょっと怖かった」が「とにかく怖かった」になり、「少し変な気がした」が「明らかに何かがいた」になる。それは嘘をついているわけではなく、記憶そのものが変化しているのだ。スウィートホームの都市伝説の多くは、この「変形した記憶」をベースにしている可能性が高い。
バイオハザードとの繋がり——伝説がどのように受け継がれたか
スウィートホームの話をするなら、バイオハザードとの関係を避けて通れない。
1996年にカプコンが発売した「バイオハザード」は、世界的なヒットとなった。洋館を舞台にしたサバイバルホラー。限られたアイテム管理。謎解きとストーリー探索。これらの要素は、スウィートホームとの共通点が非常に多い。
バイオハザードのプロデューサーである岡本吉起は、開発チームがスウィートホームをリスペクトしていたことを認めている。また、バイオハザードは元々「スウィートホームのリメイク」として企画されていたという説もある。これはかなり広く知られた話だが、「完全なリメイク企画だった」のか「精神的な後継作として開発された」のかについては、証言によって微妙に異なる。
開発当初の企画書には「スウィートホームのようなゲーム」という記述があったとも言われている。洋館の探索。複数のキャラクターによる協力。容赦のない死の恐怖。これらの共通点は、偶然の一致とは考えにくい。
ただし、バイオハザードとスウィートホームの間には決定的な違いもある。
スウィートホームの恐怖は「霊的なもの」だ。幽霊、祟り、死者の怨念。見えないもの、理解できないものに対する恐怖。一方、バイオハザードの恐怖は「生物学的なもの」だ。ウイルス、変異、ゾンビ。科学的に説明できる(フィクションの中では)恐怖。
この転換は、時代の空気も反映しているかもしれない。1989年のバブル期の日本では、霊的なものへの関心が一定以上あった。1996年には、科学技術への信頼と同時に、その暴走への恐怖が社会にあった。ゲームは時代を映す鏡でもある。
いずれにしても、スウィートホームがなければバイオハザードは存在しなかった可能性が高い。そう考えると、このゲームが現代のホラーゲームの歴史に及ぼした影響は計り知れない。
ところが、バイオハザードは世界で販売され、ゲームの歴史に名を刻んだ。スウィートホームはひっそりと日本市場だけに留まり、再発売もされなかった。
この非対称な結末が、スウィートホームの都市伝説にさらに深みを与えている。
「親が偉大な成功者になったのに、その親は人知れず消えていった」——そういうイメージが、スウィートホームというゲームそのものに重なって見える。ゲームの中で亡くなった間宮夫人の魂のように、このゲームもどこかで漂い続けているような感覚を持つ人が多いのかもしれない。
さらに言えば、バイオハザードが世界的に有名になったことで、スウィートホームへの注目が逆説的に高まった。「バイオの元ネタになったゲームって何?」という形で入ってくる人が増えた。その人たちが今度はスウィートホームの都市伝説を発見し、また別の人に広める。
都市伝説は、こうやって層を重ねながら生き続ける。
現代に語り継がれる理由——このゲームが今も「死なない」わけ
スウィートホームが発売されてから、すでに30年以上が経っている。
それでもこのゲームの話は消えない。なぜか。
一つは、インターネットの存在だ。かつては「口コミ」でしか伝わらなかった体験談や都市伝説が、ネット上に蓄積される。書き込まれた話は検索で発見され、また誰かの手で語り直される。スウィートホームに関する記事、動画、掲示板の書き込みは、今でも継続的に生まれている。
YouTubeでスウィートホームの実況動画を見ると、コメント欄に「このゲームのせいで眠れなくなった」「子供の頃プレイして怖くて投げた」「今見ても怖い」といった書き込みが並んでいる。世代を超えて、人々がこのゲームに反応している。
実況動画は、このゲームを「プレイせずに体験する」手段を提供している。中古でカセットを入手しなくても、スウィートホームの雰囲気を感じることができる。その結果、「実際にはプレイしていないが、何となく知っている」という層が新たに生まれている。こういう「間接的な体験者」が都市伝説をさらに広げていく。
もう一つは、「未完成なまま残された謎」だ。
このゲームには、今でも解明されていない要素がある。例えば、ゲーム内の特定の場所で起こる「説明のつかない音」。バグなのか意図された演出なのか、開発者の証言がないため判断できない。また、「存在するはずのないアイテム」の話もある。通常のプレイでは入手できないはずのアイテムが、特定の条件下で出現するという報告が複数ある。
それが本物のバグなのか、開発者が仕込んだ隠し要素なのか、プレイヤーの記憶違いなのか——30年以上経った今でも、はっきりした答えが出ていない。謎は謎のまま放置され、それがまた都市伝説を育てる土壌になる。
一部のゲームマニアは、ROMを解析してゲームのデータを直接調べている。その結果、「通常プレイでは到達できないマップデータが存在する」という報告もある。削除されたはずのステージが、データとしてカセットの中に眠っている。なぜ削除されたのか。何が描かれていたのか。開発者に聞けない以上、それも謎のまま残る。
それから、「間宮夫人」というキャラクターの力も無視できない。
子供を失った母親の怒りと悲しみ。自分の子供の遺品を守り続ける亡霊。この設定は、ホラーの中でも特に「原始的な恐怖」を突いている。人類普遍の「母親の愛」が歪んだ形で現れるというイメージは、時代が変わっても人々の心に刺さり続ける。
日本の怪談において、「子供への執着が強すぎた母親の幽霊」というモチーフは繰り返し登場する。産女(うぶめ)と呼ばれる幽霊がその代表だ。死後も子供への愛情を手放せず、現世に留まり続ける。間宮夫人はまさにこの構造を持っている。ファミコンのゲームでありながら、日本古来の霊観念と深いところでつながっている。
さらに、このゲームは「救済」の物語でもある。
間宮夫人の怒りの根底には、深い悲しみがある。子供の死を受け入れられなかった。その悲しみが解き放たれる時、彼女は成仏できる——という構造を持っている。ただの「化け物を倒す」ゲームではなく、「霊の魂を救う」物語でもある。そのせいで、恐怖と哀愁が同時に漂っている。怖いだけじゃない、切ないゲームとして記憶に残りやすい。
ゲームをクリアした後に、「怖かった」ではなく「なんか悲しかった」と感じるプレイヤーが多い。その「悲しさ」が記憶に残り、「あのゲームは何か特別なものを持っていた」という感覚を長く保ち続けさせる。
ホラーとして記憶されながら、どこか悲しい余韻がある。その複雑さが、このゲームを単純な「怖い話」として消費されることを防いでいるのかもしれない。
「呪われたゲーム」の系譜——スウィートホームと似た都市伝説たち
スウィートホームの都市伝説を考える上で、同種の「呪われたゲーム」伝説との比較も興味深い。
海外では、「Ben Drowned」という都市伝説が有名だ。「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」の中古ソフトに前の持ち主の怨念が宿っており、プレイすると不思議な体験をするというもの。これは後にフィクションだと明かされたが、多くの人が「リアルな話」として受け取った。スウィートホームの中古カセットにまつわる話と、構造的によく似ている。
国内では、「ポケモン金銀のゲームフリーク社員の幽霊」や「マリオのBGMに隠されたメッセージ」といった都市伝説がある。どれも共通しているのは、「公式には語られない何か」が存在するという前提だ。
これらの都市伝説に共通するのは、「プレイするだけで完結しない体験」への渇望だと思う。
ゲームは本来、遊んでクリアすれば終わりだ。でも、「そのゲームの外側に何かある」と感じた時、体験は終わらない。都市伝説はその「続き」を提供する。クリア後も、そのゲームについて考え続けさせる装置として機能する。
スウィートホームは、そういった「続き」を提供するのに非常に適した構造を持っていた。再発売されない謎。映画との複雑な関係。消えたキャラクターたちの記憶。そして何より、解決されないまま終わる間宮夫人の悲しみ。
ゲームの中でエンディングを見ても、どこかすっきりしない感覚が残る。それがプレイヤーを「もっと知りたい」「まだ何かある」という状態に保ち続ける。
まとめ——封印された「元祖」の正体
スウィートホームは、ゲームの歴史において間違いなく重要な存在だ。
ホラーゲームというジャンルの土台を作り、後の名作たちに影響を与えた。その価値は、再発売されない現在も変わっていない。むしろ、手に入らないことで神話化されている部分すらある。
都市伝説については、「すべて事実だ」とも「すべて作り話だ」とも言い切れない。
プレイして悪夢を見たという人が複数いる。中古カセットに不思議な体験をした人がいる。ゲームをプレイした後に「なんとなく嫌な感じがする」と感じた人がいる。それらが「ゲームの内容による強烈な印象」なのか、「心理的バイアス」なのか、それとも何か説明のつかない何かなのかは、今の段階では誰にも断言できない。
民俗学的に言えば、このゲームは「禁忌の構造」を完璧に備えている。手に入りにくい。内容が強烈だ。語り継がれる体験談がある。そして、公式には何も語られない空白がある。都市伝説が育つための条件が、ここにはすべて揃っている。
心理学的に言えば、プレイヤーの記憶がゲームの恐怖を増幅し、それが語り継がれる中でさらに変形していく。30年という時間は、記憶を神話に変えるには十分な長さだ。
そして現実的に言えば、このゲームはただのファミコンRPGとして終わらず、現代のサバイバルホラーゲームの源流になった。バイオハザード、サイレントヒル、その他多くのホラーゲームが、スウィートホームなしには生まれなかったかもしれない。
ただ、こうは言える。
1989年に作られたファミコンのゲームが、30年以上経った今も語り継がれている。それは、このゲームが「それだけのものを持っていた」ということの証明じゃないだろうか。都市伝説が生まれるには、核になる「何か」が必要だ。何もないものに伝説は生まれない。
スウィートホームには、その「何か」があった。
それが間宮夫人の悲しみなのか、ゲームデザイナーたちの情念なのか、それとも本当に「何か」が宿っているのかは、あなた自身が判断してほしい。
ただ、プレイする時は——少しだけ、後ろを確認してからにした方がいいかもしれない。
このゲームの世界では、振り向いた先に何かがいる可能性が、いつもゼロではないから。
そして最後に一つだけ。
間宮夫人は、今もあの館のどこかにいる。自分の子供の遺品を抱えて、誰かが来るのを待っている。30年経っても、彼女は成仏していない。ゲームが再発売されない限り、彼女は永遠にカセットの中に閉じ込められたままだ。
それがある意味で、最大の「呪い」なのかもしれない。