シンヤだ。夜中に猫が妙な声で鳴いてるの聞いたことあるだろ? あれ、昔の人はマジで怖がってたんだよな。猫又――年老いた猫が化けるって話、前に調べたことあるんだけどさ、掘れば掘るほど猫と日本人の関係って面白いんだわ。今回はかなり深いとこまで潜るぞ。

猫又(ネコマタ)伝説の進化|日本の猫妖怪はいかにして生まれたか

年を重ねた猫は、やがて妖力を宿す。尾は二つに裂け、人を惑わし、時に害をなす——それが猫又だ。名前の由来も、この「尾が二股に分かれる」姿にある。ただ、猫又がずっと同じ姿で語られてきたわけではない。時代が変われば人と猫の距離も変わり、猫又の恐ろしさの質も変わった。数百年にわたるその変遷には、日本人が猫に何を見てきたかがにじんでいる。

そもそも猫が日本に渡来したのは奈良時代から平安時代にかけてのことだとされる。中国から経典とともに船に乗せられ、ネズミから書物を守る番人として連れてこられた。つまり猫と日本人の付き合いは、最初から「実用」の文脈で始まっている。愛玩動物としての猫の歴史は意外と浅い。そして実用から愛玩へ、さらに畏怖の対象へと変化していく過程に、猫又伝説の核がある。

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猫妖怪の歴史的変遷

平安時代|宮廷に愛された猫

猫又の話に入る前に、まずは猫が日本でどう扱われてきたかを押さえておきたい。平安時代、猫は宮廷で大切にされる高貴な動物だった。「枕草子」には、一条天皇が飼い猫に「命婦のおとど」という位の名を与えたという有名なエピソードが記されている。犬を追い払うために翁丸という犬が罰せられる場面まであるのだから、当時の猫の地位がいかに高かったかがわかる。宇多天皇もまた猫を溺愛したことで知られ、日記に猫の毛並みの美しさを事細かに書き残している。

この時代、猫はまだ妖怪とは結びついていない。むしろ珍しく、美しく、愛でるべき存在だった。数が少なかったこともあり、猫を飼えるのは皇族や上級貴族に限られていた。庶民にとっては見たこともない動物だったかもしれない。この「遠さ」がのちの神秘化につながっていくのだが、平安の世においてはまだ、猫は光の側にいた。

鎌倉時代|山中の猫又

猫又の名が文献に現れる最古の例は、鎌倉時代にまで遡る。吉田兼好が1330年頃に記した「徒然草」の一節、「奥山に猫またといふものありて、人を食らふ」がそれだ。ここで語られる猫又は、人里離れた深山に棲みつく野生の怪物である。囲炉裏端で丸くなる飼い猫とは何の関係もない、得体の知れない山の獣だった。当時の人々にとって山は異界そのもので、猫又もまた山に潜む数多の魔物の一つとして恐れられていた。人を食らうというからには、実際に山中で行方不明になった者の末路を猫又のせいにしていたのかもしれない。

「徒然草」の第八十九段は実に面白い話だ。ある僧が「猫又が出るそうだ」と聞いて怯えながら夜道を歩いていると、いきなり何かに飛びかかられる。「猫又だ!」と叫んで川に転げ落ちるのだが、正体は自分の飼い犬だった——というオチがつく。兼好はこの話を、噂に怯える人間の愚かさを笑う逸話として書いている。だが裏を返せば、猫又の噂が僧侶すら本気で怯えさせるほど浸透していたということでもある。

また、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、天福元年(1233年)に南都(奈良)で猫又が人を殺したという記録がある。一晩のうちに数人が襲われたとされ、これは猫又に関する記録としては相当に古い部類に入る。当時の人々がこれをどこまで信じていたかは判然としないが、公式な歴史書に記載されるほどには、猫又の存在は「あり得ること」として受け止められていたようだ。

室町時代|猫又のイメージが固まる

室町時代に入ると、猫又の姿はより具体的に描かれるようになる。御伽草子や説話集の中で、猫又は「年を経た猫が化ける」という設定がほぼ定着した。山中の得体の知れない獣から、身近な猫の延長線上にある存在へ——そのイメージの移行はこの時代に始まっている。

注目すべきは、猫が「年を経る」という条件だ。若い猫は化けない。十年、二十年と長く生きた猫だけが妖力を得る。この発想の背景には、「老い」そのものに対する畏怖がある。人間にしても、異常に長生きした老人は仙人や妖怪と見なされることがあった。歳月が存在を変質させるという感覚は、日本の妖怪観の根底に流れているものだ。道具が百年経つと付喪神になるという発想もまったく同じ構造をしている。猫又とは、いわば生きた付喪神なのかもしれない。

江戸時代|飼い猫の化け猫化

ところが江戸時代に入ると、猫又の居場所は山から人の家の中へと移ってくる。「長年飼われた家猫が、あるとき化ける」——恐怖の矛先が、見知らぬ山の獣から日々暮らしをともにする飼い猫へと変わったのだ。手拭いを被って二本足で踊る猫、行灯の油をぺろぺろと舐める猫、果ては人の言葉を口にする猫。怪談や浮世絵にはそうした場面が繰り返し描かれた。怖さの核にあるのは、毎日撫でていた猫が突然こちらを「見返してくる」ような、身近な存在の裏切りだ。「猫は長く飼うと化ける」という俗信が広まったのもこの頃で、飼い猫の年齢を気にする家もあったという。尾が長いと化けやすいとされ、尾の短い猫が好まれたという話まで残っている。

江戸の怪談文化は猫又を一大キャラクターに押し上げた。特に歌舞伎の「化け猫もの」は大人気のジャンルだった。鍋島藩の化け猫騒動を題材にした「佐賀怪猫伝」は繰り返し上演され、観客を熱狂させた。この話では、藩主に殺された老女の恨みを宿した猫が、夜な夜な藩主の寝所に忍び込み、その血を啜る。猫は老女の姿に化けて侍女に紛れ込み、誰にも気づかれないまま藩主を衰弱させていく。最終的に忠臣の武士がこの正体を暴くのだが、恐ろしいのは猫が人に化けている間、まったく見破れなかったという点だ。

もう一つ有名なのが「岡崎の化け猫」だ。東海道の宿場町・岡崎を舞台にした怪談で、旅人が泊まった宿の老婆が実は巨大な化け猫だったという話である。浮世絵師の歌川国芳は猫を好んで描いた画家で、化け猫の場面を何枚も残している。国芳の描く猫又は、恐ろしいのに妙に愛嬌があって、江戸の人々の猫への複雑な感情がよく表れている。

猫を飼う際の「禁忌」

江戸時代には、猫にまつわる数多くの禁忌が民間に伝わっていた。いくつか挙げてみよう。「猫を七年以上飼ってはならない」「三毛猫の雄は船に乗せると嵐を避ける」「猫に死者の顔を見せてはならない、飛び越えさせてもならない——死体が起き上がるから」。このうち最後の禁忌は特に根強く、葬儀の際には猫を別室に閉じ込めておくのが常識とされた地域がある。

猫が死者を蘇らせるという発想は、猫の持つ「静電気」に関係しているという説がある。冬場に猫を撫でるとバチッと火花が散ることがあるが、これが死体の筋肉をぴくつかせる原因になり得るのだ。科学的には静電気による筋収縮にすぎないが、暗い部屋で猫が死者のそばを通った途端に遺体の手が動いた——などという場面を目撃すれば、誰だって恐怖する。こうした現象が合理的に説明できなかった時代、猫に不思議な力があるという信仰はごく自然に生まれたはずだ。

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猫又の「能力」を整理する

変化(へんげ)の術

猫又の最も有名な能力は、人間に化けることだ。特に老婆や若い女の姿をとることが多い。鍋島の化け猫のように、殺された人物の姿に化けて復讐を遂げるパターンもある。また、手拭いを頭に被って踊るという描写が多いのは興味深い。手拭いを被るという行為が「変身」の儀式のように機能していたのかもしれない。

死者の操作

猫又は死者を操る力があるとされた。先述の「猫が死体を飛び越えると死者が蘇る」という俗信の延長で、猫又になった猫は自在に死者を動かすことができると信じられた。葬列の際、棺の上を猫が飛び越えると死者が起き上がって暴れるという話は、東北地方から九州まで広く分布している。同じような話がこれだけ各地にあるということは、それだけ多くの人が信じていたということだ。

火を操る

猫又は怪火(かいか)、つまり正体不明の炎と結びつけられることも多い。猫の尾が二股に分かれると同時に、その尾に火が灯るという描写は浮世絵にも頻出する。猫の尻尾の先に青白い炎が揺れている姿は、猫又のアイコン的イメージだと言っていい。この「猫と火」の結びつきも、静電気の火花が元になっているのではないかという指摘がある。暗闇の中で猫を撫でたときに見える小さな火花が、猫は火を操るという伝承を生んだ可能性は十分にある。

人語を解する

長く生きた猫は人間の言葉を理解し、ときに自ら喋るという話も多い。江戸時代の随筆「耳嚢」には、ある家の老猫が留守番中に客と会話していたところを家人に見つかり、そのまま姿を消したという逸話が収められている。猫が人の言葉を理解しているように見える瞬間は、猫を飼ったことのある人間なら誰でも経験があるだろう。名前を呼べば振り向くし、叱ればばつの悪そうな顔をする。「この猫、実はわかってるんじゃないか」という疑念は、飼い主なら一度は抱くものだ。その疑念を突き詰めれば、猫又の伝説にたどり着く。

猫に対する日本人の両義的態度

招き猫と化け猫の共存

考えてみれば奇妙な話だ。日本人は片手で招き猫を飾りながら、もう片方の手で化け猫の護符を貼っていた。福を呼ぶ縁起物と、恐怖の対象。この真逆のイメージが同じ「猫」という一匹の動物に重なっている。おそらくその根っこにあるのは、猫という生き物の気まぐれさだろう。犬は呼べば来る。しかし猫は来ない。こちらの都合など知らぬ顔で、気が向いたときだけすり寄ってくる。人間の思い通りにならないその性質が、ある時は「自由で気高い」と映り、ある時は「何を考えているかわからない」という薄気味悪さに変わる。猫が妖怪として語られ続けた背景には、この「制御できなさ」への畏れがあったのだろう。

招き猫の起源にも諸説ある。有名なのは東京・世田谷の豪徳寺にまつわる伝承だ。江戸時代初期、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩りの帰りに寺の前を通りかかると、一匹の猫が手招きをしていた。猫に誘われて寺に立ち寄ったところ、直後に激しい雷雨になり、直孝は濡れずに済んだ。これに感謝した直孝が寺を庇護し、豪徳寺は繁栄した——というのが招き猫の発祥とされる話だ。ここでも猫は「人間の理解を超えた行動」をとっている。未来の雷雨を知っていたかのように手招きする猫。それは幸運の象徴であると同時に、どこか不気味でもある。

養蚕と猫の神様

猫は養蚕業とも深い関係がある。蚕を食い荒らすネズミを退治してくれる猫は、養蚕農家にとって欠かせない存在だった。そのため東北地方を中心に「猫神様」を祀る風習が各地にある。宮城県の田代島は「猫島」として知られ、島の中央には猫神社が鎮座している。漁師たちは猫の行動から天候を読み、大漁の守り神としても崇めた。

ここでも猫の両義性が際立つ。守り神であると同時に妖怪でもある。感謝と畏怖が表裏一体になっている。日本人にとって猫は「神にも妖怪にもなる」生き物であり、それは猫という動物の本質——予測不能で、人間の期待通りには動かない——に根ざしている。

世界の猫妖怪との比較

猫を不思議な力を持つ存在と見なすのは、日本だけの現象ではない。ヨーロッパでは中世に黒猫が魔女の使い魔とされ、大量に殺された暗い歴史がある。エジプトでは猫の女神バステトが信仰され、猫を殺した者は死刑に処されることもあった。中国にも「猫鬼(びょうき)」という猫の邪霊の伝承がある。

ただし日本の猫又が独特なのは、「年月が猫を変える」という発想だ。ヨーロッパの魔女の猫は最初から魔力を帯びているし、エジプトの猫神は生まれながらにして聖なる存在である。だが猫又は違う。最初は普通の猫だ。何年も何十年も人間のそばで暮らし、やがて変容する。日常の中にゆっくりと異界が侵食してくるこの感覚は、日本のホラーに通じるものがある。Jホラーの怖さが「見慣れた日常がじわじわと崩れる」点にあるとすれば、猫又はまさにその原型だ。

日本各地の猫又伝承

佐賀・鍋島の化け猫騒動

日本で最も有名な化け猫伝説は、佐賀藩・鍋島家にまつわるものだろう。藩主の鍋島光茂に仕える龍造寺又七郎が碁の勝負で光茂の怒りを買い、斬殺される。又七郎の母は嘆き悲しんだ末に自害し、その血を飼い猫が舐めた。以後、猫は母の姿に化けて城内に入り込み、光茂を夜ごと苦しめるようになる。忠臣の小森半左衛門がようやくこの化け猫を退治する——というのが大筋だ。この話は歌舞伎や講談で脚色され、全国に広まった。

新潟・猫又山

富山県と新潟県の県境には「猫又山」という山が実在する。標高2378メートルのこの山には、古くから猫又が棲むと伝えられてきた。山中で人が消える事故が起きるたびに「猫又の仕業だ」と噂された。実際には急峻な地形と悪天候が遭難の原因だろうが、それでも「猫又山」の名は地図に残り続けている。地名に妖怪の名がそのまま使われているのは、それだけ人々の生活に伝承が根付いていた証拠だ。

長崎・尾曲がり猫

長崎には尾の曲がった猫が多いことで知られている。長崎の猫のおよそ八割が尾曲がりだという調査結果もある。これは江戸時代に「尾の長い猫は化ける」という俗信が広まり、尾の短い猫や曲がった猫ばかりが選択的に飼われた結果だという説がある。もしそうだとすれば、猫又伝説が実際に猫の遺伝子プールに影響を与えたことになる。迷信が現実の生物学を変えてしまった稀有な例だ。

東北地方の猫又信仰

東北地方では、猫又は恐ろしいだけの存在ではなかった。猫が神格化された「猫神」の信仰と、妖怪としての猫又が混在している地域が多い。秋田県には、猫が恩返しをする昔話がいくつも伝わっている。飼い主に忠義を尽くし、困難を救ってくれる猫。ただしその力は常軌を逸しており、人間を超えた存在であることに変わりはない。東北の猫信仰は、恐怖と感謝のバランスの上に成り立っている。

猫又伝説を生んだ「猫の習性」

夜行性と光る目

猫が妖怪視された最大の原因は、おそらくその夜行性にある。昼間は寝てばかりいる猫が、夜になると目を爛々と光らせて活動を始める。暗闇の中で浮かび上がる二つの光点は、確かに不気味だ。猫の目が光るのはタペタム(輝板)という反射層のおかげで、わずかな光を増幅して暗所でも視力を確保する仕組みなのだが、そんな生物学的説明が通用するのは近代以降の話だ。江戸時代の暗い夜道で光る目に出くわした人間が「あれは普通の猫ではない」と感じたのは、無理もない。

高い身体能力

猫は高所から落ちても無傷で着地する。狭い隙間をするりと通り抜ける。音もなく忍び寄り、一瞬で姿を消す。こうした身体能力の高さは、人間から見れば十分に「超自然的」だった。特に猫の柔軟な骨格は、まるで骨がないかのような動きを可能にする。液体のように容器に収まる猫の姿は、現代のネットでも「猫は液体」とネタにされるほどだ。こうした物理法則を無視したかのような動きが、「あの生き物はこの世のものではない」という感覚を強めたのだろう。

獲物を持ち帰る習性

飼い猫が捕まえたネズミや鳥を飼い主のもとに持ってくる習性も、不気味がられた一因かもしれない。現代の飼い主なら「猫なりの贈り物だ」と微笑ましく受け取るが、迷信深い時代の人間にとっては、猫が死体を運んでくるという行為そのものが不吉に映った可能性がある。猫は死と親和性が高い——という印象を、こうした日常の小さな場面が積み重ねていったのだ。

現代のネコマタ

いま、日本は空前の猫ブームのただ中にある。SNSには猫の写真があふれ、猫カフェは街のあちこちに店を構えている。猫を妖怪と呼んで本気で怖がる人はもういない。けれど猫又という存在が消えたわけでもない。アニメやゲームの世界では猫又キャラクターが根強い人気を持っていて、二股に分かれた尾や妖しい眼は、いまや恐怖ではなく「かっこいい」ものとして受け入れられている。恐れから愛玩へ、畏怖から娯楽へ。まとう感情は時代ごとにまるで違うのに、猫又という物語そのものは途切れることなく語り継がれてきた。人を食らう山の魔物だった猫又が、推しキャラとしてグッズ化される時代だ。それでも消えないのは、猫がどこかで人間の理解を超えた生き物であり続けているからかもしれない。

サブカルチャーの中の猫又

現代の創作物における猫又の登場頻度は凄まじい。漫画「夏目友人帳」に登場するニャンコ先生は、猫の姿をした強大な妖怪・斑(まだら)であり、普段のとぼけた猫姿と本来の威厳ある妖怪姿のギャップが人気の核になっている。ゲーム「妖怪ウォッチ」のジバニャンも猫又の系譜に連なるキャラクターだし、「鬼灯の冷徹」「うしおととら」「ぬらりひょんの孫」など、猫の妖怪が登場しない妖怪作品を探すほうが難しい。

興味深いのは、こうした作品群における猫又のポジションだ。多くの場合、猫又は「敵」ではなく「味方」として描かれる。気まぐれで扱いにくいが、根は悪くない。いざという時は頼りになる——つまり「猫っぽい性格」がそのまま妖怪のキャラクター造形に転用されているのだ。妖怪としての恐ろしさよりも、猫としての愛らしさが前面に出ている。これは猫又伝説の数百年の歴史の中で、おそらく最も大きなイメージの転換だろう。

「猫は人間の言葉がわかる」という現代の都市伝説

猫又伝説は形を変えて、現代にも息づいている。SNSでは「猫は人間の言葉を理解している」「猫は飼い主の感情を読む」という投稿が定期的にバズる。科学的な研究でも、猫は自分の名前を聞き分けられるという結果が出ている。東京大学の研究チームが2019年に発表した論文は大きな反響を呼んだ。猫は聞き分けているが、応じるかどうかは猫の気分次第——という結論が、いかにも猫らしかった。

「猫は本当はすべてわかっていて、わからないふりをしている」。この半ば冗談、半ば本気の感覚は、江戸時代の人々が「あの猫、実は化けてるんじゃないか」と疑った感覚と、構造的にまったく同じだ。言葉を変えれば、猫又伝説は今も更新され続けている。恐怖の怪談としてではなく、愛情と畏怖が入り混じったSNSの投稿として。

猫又と「長生きする猫」

現代の獣医学の進歩により、猫の寿命は格段に延びた。完全室内飼いの猫であれば15年から20年、時にはそれ以上生きる個体もいる。江戸時代の基準で言えば、現代の老猫はほぼすべてが「猫又になってもおかしくない年齢」ということになる。もし昔の俗信が正しいなら、日本中が猫又だらけだ。

年老いた猫が見せる独特の存在感を知っている飼い主は多いだろう。若い頃のやんちゃさが消え、じっとこちらを見つめる眼差しにはどこか悟りきったような深さがある。二十年近く同じ家で暮らした猫は、家族の歴史のすべてを見てきた証人だ。その猫がふいに見せる、何かを知っているような表情——あの瞬間、現代人もまた無意識のうちに猫又伝説の残響を感じ取っているのかもしれない。

なぜ猫又は消えないのか

猫又伝説が数百年にわたって語り継がれてきた理由は、結局のところ猫という生き物の本質に帰着する。猫は人間のそばにいながら、人間に完全には屈しない。飼い犬は人間の社会構造に組み込まれ、主人に従順であることを美徳とする。だが猫には主人がいない。飼い主がいるだけだ。猫は人間と暮らすことを選んでいるのであって、服従しているのではない——少なくとも、そう見える。

この「こちら側にいながら、完全にはこちら側でない」感覚が、猫を妖怪たらしめている。妖怪とは、人間界と異界の境界に立つ存在だ。猫はまさにその境界に立っている。家の中にいるが、窓の外を見ている。人間の言葉を聞いているが、応えない。撫でさせるが、気が済めば爪を立てる。どこまでも「半分あちら側」の存在だ。

だからこそ猫又は消えない。猫が猫であり続ける限り——つまり人間の思い通りにならない生き物であり続ける限り——猫又の物語は形を変えながら語り継がれていくだろう。数百年後の日本人がどんな形で猫又を語っているのか、それはわからない。だが猫のそばで暮らす限り、人間はきっとこう思い続ける。「この猫、本当はなにか知ってるんじゃないか」と。

神様にもなれば妖怪にもなる。猫ってやつは昔からそういう存在だったんだな。うちの近所にも二十年モノの猫がいるんだが……いや、やめとくか。シンヤでした。次の夜もまた、こういう話しようぜ。


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