よう、シンヤだ。南米のスリナムって国、知ってるか? 正直マイナーな場所なんだけど、ここで起きた連続殺人がまた不気味でさ。首都パラマリボで何が起きたのか、今夜はじっくり追ってみようと思う。

世界の謎の連続殺人|解決されなかった事件の共通パターン

未解決の連続殺人事件を調べていくと、どこか似た構造が浮かんでくる。被害者が社会の端っこに追いやられた人たちで、警察の動きが遅く、管轄が分かれていてまとまらない。場所も時代も違うのに、なぜかこのパターンが繰り返される。

そのことを最初に意識したのは、スリナムの事件を調べたときだった。「またか」と思った。南米の小国で起きた話なのに、構造がアメリカや日本の未解決事件とほとんど同じだったから。

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パラマリボで何が起きたのか

スリナムという国のこと

スリナムは南米の北東に位置する小さな国で、人口は60万人くらい。かつてオランダの植民地だったこともあって、公用語はオランダ語だ。首都はパラマリボ。

観光地としてはほぼ無名だけど、ユネスコの世界遺産に登録された旧市街があったり、アマゾンに続く熱帯雨林が広がっていたり、実は見どころのある場所だ。でも経済的には厳しい。格差が大きくて、貧困層が首都の周辺に集中している。

そういう背景が、事件の土台になっていた。

事件の輪郭

パラマリボ周辺で、数年にわたって若い女性が次々と行方不明になるか、遺体で発見されるという事態が続いた。被害者に共通していたのは、経済的に追い詰められた立場にいること。地元メディアがときどき取り上げるものの、国際的な注目はほとんど集まらなかった。

捜査は進まなかった。容疑者が浮かんでは消え、遺族が訴えても動きが鈍い時期があった。「なぜこんなに遅いんだ」という声が積もっても、制度の壁が厚かった。

事件の詳細は今も明らかになっていない部分が多い。でもその「なぜ明らかにならないのか」という問いが、世界中の未解決事件に通じる話になっている。

パラマリボの日常と事件の落差

パラマリボという街は、行った人の話を聞くと「思ったより穏やかで静かな街」という印象が多い。カラフルな木造建築が並ぶ旧市街は確かに美しいらしく、ゆっくり歩いて回れる観光地だという。

でも夜になると表情が変わる地区があって、経済的に追い詰められた若者や女性たちが集まる場所がある。そこに事件が集中していた。「きれいな街の裏側」という構造は、スリナムだけの話じゃない。どの国の都市にも、光の当たらない場所がある。

遺族へのインタビューを読んだことがある。オランダ語で書かれた記事だったから、翻訳ツールを使いながら読んだ。母親が「娘がいなくなったことを誰も本気で探してくれなかった」と言っていた。その一言が、ずっと頭に残っている。

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未解決事件の構造的要因

被害者の社会的周縁性

未解決の連続殺人事件では、セックスワーカーやホームレス、移民といった、いわゆる「社会の周縁」にいる人たちが狙われることが多い。失踪しても誰も気づかない、気づいても通報が遅れる、捜査の優先度も下がる。負の連鎖が起きやすい立場の人たちだ。2010年に発覚した「Long Island Serial Killer」事件も、被害者がセックスワーカーだったせいで、捜査が長年ほとんど動かなかった。

これは日本でも無縁じゃない。90年代に埼玉や東京で起きた連続女性殺害事件でも、被害者の背景が捜査の速度に影響したと指摘する声がある。「どういう人が被害に遭ったか」が、社会の反応を大きく左右してしまう。本来そうであってはいけないのに。

遺族が「娘は大切な人間だったのに、なぜ動いてくれないのか」と訴える映像や証言を目にするたびに、捜査というのは純粋に「事件を解決するための機械」じゃないんだなと思い知らされる。人が動かす以上、そこには優先順位が生まれる。その優先順位が、どこから来ているのかを問い続けることが大事だと思う。

管轄権の問題

犯行が複数の管轄区域にまたがると、警察同士の情報共有が一気に難しくなる。アメリカのグリーンリバー・キラー事件がそうで、被害者が複数の郡に散らばっていたことで、捜査がバラバラになった。「うちの管轄じゃない」という縦割りが、犯人に時間を与えてしまうんだ。

グリーンリバー・キラー、ゲイリー・リッジウェイは最終的に49人以上を殺害したとされているが、逮捕されたのは最初の犯行から20年近く経ってからだった。DNA鑑定技術の進歩がなければ、もっと長く逃げ続けていたかもしれない。

スリナムのようなインフラが整っていない国では、こうした問題がさらに深刻になる。首都と郊外で情報が別々に管理されていたり、そもそも記録が十分に残っていなかったりする。犯人にとっては、そういう「穴」が生まれやすい環境だ。

メディアの注目度と捜査の関係

あまり表立って語られないけど、メディアがどれだけ取り上げるかが、捜査の進み具合に影響することがある。注目される事件は予算もつくし、人員も増える。逆に報道されない事件は、そのまま後回しになりやすい。

これを「Missing White Woman Syndrome(行方不明の白人女性症候群)」と呼ぶ研究者もいる。白人の若い女性が被害に遭った事件はメディアが大きく扱い、そうでない場合は扱いが小さくなるという傾向を指した言葉だ。アメリカで生まれた概念だけど、国を問わず似たような構造が見られる。

スリナムの事件が国際的にほぼ知られていないのも、この文脈で考えると腑に落ちる。

世界の未解決連続殺人事件を振り返る

実際の事件を見ていくと、構造の共通点がはっきりしてくる。

ジャック・ザ・リッパー(イギリス・1888年)

未解決事件の代名詞みたいな存在だ。ロンドンのホワイトチャペル地区で少なくとも5人の女性を殺害したとされる。被害者は全員、売春で生計を立てていた女性たちだった。

当時の警察は捜査に力を入れたが、犯人には辿り着けなかった。その後100年以上にわたって「真犯人」を名乗る説が次々と出てきたが、決定的な証拠はない。2014年にDNA分析で有力な容疑者が浮かんだという報道があったが、方法論への疑問も残っていて、確定はしていない。

この事件が今でも語り続けられる理由のひとつは、「当時の社会が被害者をどう扱ったか」という問いにある。当時のメディアは事件を面白おかしく報道し、被害者の人生より犯人の「謎」に興味を向けた。そのフレームは、現代の事件報道にも残っていると思う。

ゾディアック・キラー(アメリカ・1960〜70年代)

カリフォルニア州で少なくとも5人を殺害し、「ゾディアック」と名乗る暗号文を新聞社や警察に送り続けた人物だ。暗号の一部は現代に入って解読されたが、犯人の正体は今も分かっていない。

この事件の特徴は、犯人が積極的にメディアを利用したことだ。手紙を送り、注目を集めることで自分の存在を大きく見せた。逆にいえば、その「見せたがり」な部分が捜査のかく乱にも使われた。フェイクの情報を混ぜることで、捜査を混乱させたとも言われている。

映画化もされ(デビッド・フィンチャー監督『ゾディアック』)、フィクションとして消費される側面もあるけど、被害者の遺族にとっては今も現在進行形の痛みだ。そこを忘れてはいけないと思う。

グリーンリバー・キラー(アメリカ・1980〜2000年代)

先ほど少し触れたが、もう少し詳しく。ゲイリー・リッジウェイはワシントン州を中心に活動し、49人以上の女性を殺害したとされる連続殺人犯だ。最初の犯行から逮捕まで約20年かかった。

なぜ20年かかったのか。被害者の多くが売春に関わっていたことで、失踪の届け出が遅れがちになり、捜査が後手に回った。それに加えて、リッジウェイ自身が「普通の生活」を送っていた。昼間は工場で働き、近所づきあいもそれなりにこなす。「まさかこの人が」という存在だった。

2001年にDNA鑑定で逮捕された。証拠が積み上がったのは、まさに技術の進歩のおかげだった。

ビアンキとブオーノ(ヒルサイド・ストラングラー事件・アメリカ・1977〜78年)

ロサンゼルスの丘陵地帯に遺体が次々と発見された事件で、「ヒルサイド・ストラングラー(丘の絞殺魔)」と呼ばれた。最初は単独犯だと思われていたが、実際には二人組だった。ケネス・ビアンキとアンジェロ・ブオーノ。いとこ同士だ。

この事件が特徴的だったのは、単独犯という思い込みが捜査を誤らせたことだ。連続殺人犯というのは「一人でやる」という先入観が当時の捜査にはあった。二人が共同で動いているとは想定していなかったから、容疑者を絞り込めなかった。

ビアンキは後にワシントン州でも別の殺人を起こして逮捕される。そこで自白し、ブオーノへの証言が決め手となって二人とも有罪判決を受けた。「共犯者がいる」という可能性を常に視野に入れておくことの大切さを、この事件は示している。

シティシャル・モハンマドとバンクーバーの行方不明女性(カナダ・1990年代〜2000年代)

カナダのバンクーバー、ダウンタウン・イーストサイドと呼ばれる地区で、数十人の女性が行方不明になり続けた。被害者の多くは先住民系の女性か、薬物依存を抱えた女性たちだった。

農場主のロバート・ピクトンが逮捕されたのは2002年。彼の農場から多くの遺体や遺骨が発見された。最終的に6件の殺人で有罪判決を受けたが、本人は「49人殺した」と語ったとも伝えられている。

この事件で特に問題視されたのは、警察の対応だった。地元の女性支援団体が何年も前から「女性たちが消えている」「捜査してほしい」と訴え続けていたのに、当局はほとんど動かなかった。2012年に設けられた独立調査機関が「捜査上の著しい怠慢があった」と結論づけた。

先住民女性の行方不明・殺害はカナダで今も続く社会問題であり、「MMIWG(行方不明・殺害された先住民女性と少女)」という問題として現在も取り組みが続いている。

なぜ犯人は長期間捕まらないのか

「普通の人」という外見

連続殺人犯のイメージとして、目つきが鋭いとか、どこか不気味な雰囲気がある、みたいな先入観を持ちがちだ。でも実際には、近所の人に「いい人だった」と言われるケースが少なくない。

グリーンリバー・キラーもそうだったし、テッド・バンディも人当たりがよく、弁護士を目指していたインテリだった。「怪しい人物」という像に当てはまらないから、長期間見過ごされてしまう。

これは犯人の巧みさというより、私たちの「怖い人はこういう見た目のはず」という思い込みの問題でもある。

技術の限界と時代のギャップ

1970年代や80年代に起きた事件は、当時の技術では解決できなかったものが多い。指紋照合も、DNA鑑定も、今ほど精度が高くなかった。監視カメラも普及していなかった。

逆に言えば、当時の未解決事件が現代の技術で解決されるケースも増えている。「コールド・ケース」と呼ばれる古い事件を専門に扱う捜査チームが、各国で成果を上げている。時効のない殺人事件であれば、証拠が残っている限り、何十年後でも逮捕は可能だ。

証言の難しさ

目撃証言は、思ったより信頼性が低い。人間の記憶は「見た通りに記録される」わけじゃなくて、感情や時間によって変化する。恐怖を感じた場面では、細部の記憶が曖昧になることも多い。

しかも、証言をした人が後から脅されたり、危険にさらされたりする事例もある。「見たものを話す」という行為には、本人にとってのリスクが伴うこともある。特に犯人がコミュニティの中に溶け込んでいる場合は。

犯行の間隔と「クーリングオフ期間」

連続殺人犯の多くは、犯行と犯行のあいだに一定の間隔を置く。この期間を「クーリングオフ期間」と呼ぶことがある。衝動が高まって犯行に及び、落ち着いてから再び衝動が高まる、というサイクルを繰り返す。

この間隔が数ヶ月から数年にわたることがある。その間、犯人は「普通の生活」を送っている。近所で普通に働き、普通に買い物をして、普通に笑っている。捜査が一時停止状態になっているとき、犯人は次の機会を静かに待っている。

逆に言うと、クーリングオフ期間が終わって次の犯行が起きたとき、それが「連続性」として認識されるまでにまた時間がかかる。被害者が別々の地域で発見されたり、担当者が変わっていたりすると、「同一犯かもしれない」という気づきが遅れる。

日本の未解決連続事件にも同じ構造がある

足立・板橋連続女性殺害事件(1971〜74年ごろ)

東京の足立区や板橋区を中心に、複数の女性が殺害された事件だ。被害者には風俗関係の仕事をしていた女性が含まれていたこともあり、捜査の動きが遅かったと後から批判された。正式に「連続事件」として認定されないまま捜査が分散した可能性も指摘されている。

この時代の日本の刑事捜査は、管轄ごとの壁がとりわけ厚かった。同じ都内でも、区をまたげば別の捜査体制になる。情報が共有されず、「あの事件とこの事件が同じ犯人かもしれない」という結びつきが生まれにくかった。

世田谷一家殺害事件(2000年・未解決)

2000年12月30日の夜、東京都世田谷区で一家4人が殺害された事件だ。犯人はいまだに捕まっていない。現場に多くの証拠を残しながら、DNA鑑定でも身元が特定できていない。

この事件が未解決のまま続いているのは、被害者が「社会的周縁」にいたからじゃない。普通の家庭が、年末の夜に突然標的にされた。犯人に明確な動機が見えず、被害者との接点も分からない。「なぜこの家が狙われたのか」という問いへの答えがないから、捜査の糸口が見つからないまま20年以上が経過している。

DNA型は保管されており、データベースへの登録も行われている。将来、別の事件で採取されたDNAと一致する可能性はある。技術と時間が、この事件の鍵を握っている。

福岡・北九州連続監禁事件(1990年代)

これは「未解決」ではなく、犯人が逮捕・処刑された事件だ。ただ、事件が長期間にわたって進行していたのに、なぜ発覚が遅れたのかという点で、構造的な問題を考えるうえで重要な事例だ。

松永太・緒方純子による事件は、関係者がコントロールされ続けることで、被害が外部に漏れにくい状況が作られていた。「異常な状況」が「日常」として続いていた。こういうケースでは、当事者が声を上げられないし、外から異変を察知するのも難しい。

制度の問題というより、人間の心理的な支配構造が絡む話でもある。

未解決事件が地域社会に与える影響

犯人が捕まらないまま時間が経過すると、地域のコミュニティに独特の傷が残る。

いちばん目に見えて広がるのが、不信感だ。「あの人が怪しいんじゃないか」「うちの近所に犯人がいるかもしれない」という空気が漂い始め、人と人との距離が開いていく。特に被害が続いている期間は、夜に出歩けない、子供を一人にできないという生活の制限が日常になる。

そこに重なるのが、被害者家族への二次被害だ。「なぜ娘はそんな場所にいたのか」「家族の管理が悪かったんじゃないか」という目が向けられることがある。加害者は一人なのに、責任がなぜか被害者側に向かっていく。理不尽だけど、これが繰り返される。

積もり積もって出てくるのが、制度への不信だ。「警察は動かない」「訴えても無駄だ」という諦めが根付くと、次の被害が出ても通報が遅れる。悪循環になる。

スリナムでも、この構造が見られた。遺族が声を上げ続けることで少しずつ捜査が動いた面もあったが、「なぜここまで時間がかかったのか」という問いへの答えはまだ十分に出ていない。

犯罪心理学が読み解く「連続性の気づき」

犯罪心理学の世界には、「犯罪リンク分析」という手法がある。複数の事件を並べて、手口・場所・被害者の属性・行動パターンなどを比較し、同一犯による可能性を評価する。

人間の直感だけでは、バラバラに見える事件のつながりを見抜くのは難しい。でもデータとして並べたとき、「この事件とこの事件は似すぎている」という結びつきが見えてくる。イギリスやカナダでは、このリンク分析を専門に行う部署を持つ警察機関がある。

日本でも、警察庁の科学警察研究所がプロファイリングや犯罪分析を担当している。ただ、捜査の実務との連携については、まだ改善の余地があると言われることもある。

今、捜査はどう変わっているか

DNAデータベースの広がり

アメリカでは「CODIS(コンバインドDNAインデックスシステム)」というデータベースが整備されていて、全国の未解決事件の証拠DNAと照合できる仕組みがある。これによって、何年も前の事件が突然解決するケースが出てきた。

最近では「系譜DNA」と呼ばれる手法も注目されている。民間の遺伝子検査サービスに登録されたデータをもとに、容疑者の親族を特定し、そこから本人に辿り着くというやり方だ。2018年に「ゴールデンステート・キラー」事件がこの方法で解決されたことで、一気に注目が集まった。

倫理的な議論もある。「プライバシーへの侵害じゃないか」という声もあるし、そのあたりのバランスはまだ定まっていない。でも、技術が進めば進むほど、かつての「完全犯罪」が崩れやすくなっているのは確かだ。

コールドケース専門チームの設立

各国で、未解決事件を専門に扱う捜査チームが増えている。日本でも警視庁に「未解決重要事件捜査班」的な機能を持つチームが存在し、古い事件の再捜査を行っている。

コールドケース捜査の強みのひとつは、「時間が経ったことで証言しやすくなった」という場合があることだ。事件当時は怖くて言えなかったことを、10年後に話せるようになる人がいる。犯人との関係性が変わったり、本人が亡くなったりすることで、口を開ける人が出てくるケースもある。

国際的な情報共有の仕組み

インターポール(国際刑事警察機構)を通じた情報共有も進んでいる。国をまたいで逃げた犯人を追うための枠組みが、以前より機能するようになってきた。

ただ、スリナムのような経済的に余裕のない国では、こういった国際的な仕組みへのアクセスが限られることがある。インフラの格差が、捜査の格差につながる。

SNSとオープンソース捜査の台頭

近年、一般市民が事件解決に関わるケースが出てきた。「OSINT(オープンソース・インテリジェンス)」と呼ばれる、公開情報を使った調査手法だ。SNSの投稿、地図情報、公開記録などを組み合わせて、プロの捜査では見落とされていた手がかりを見つけることがある。

Redditやネット掲示板でのコールドケース調査コミュニティも、実際に情報提供につながったケースが報告されている。ただし、無実の人物を誤って特定してしまうリスクもあって、「市民捜査」には倫理的な問題が伴う。

ボストン爆弾テロ事件(2013年)では、ネットユーザーが「犯人を特定した」と誤った情報を拡散し、関係ない人物とその家族が深刻なダメージを受けた。「みんなで解決しよう」という善意が、時として別の被害を生む。

こういう事件を調べるときに思うこと

シンヤ個人の話をちょっとだけ。こういう未解決事件を調べているとき、よく「怖い話を楽しんでるだけじゃないか」という気持ちが頭をよぎる。

正直に言えば、最初はそういう面もあった。「謎が解けない」という不思議さや、犯人像を推測する面白さ。でも調べれば調べるほど、被害者の名前が出てきて、遺族の言葉が出てきて、「この人たちはエンタメじゃない」という感覚が強くなる。

だからといって、こういう事件を取り上げるのをやめようとは思わない。知ることが出発点だから。知らなければ、構造的な問題に気づけない。気づかなければ、変えようとも思えない。

「なぜ解決されないのか」を問い続けることは、「誰が次の被害者にならないようにするか」という問いでもある。少し大げさに聞こえるかもしれないけど、そういうつもりでこの記事を書いた。

遺族にとっての「時間」は止まっている

普通の人にとって、10年前の事件は「昔の話」になっていく。でも遺族にとってはそうじゃない。誰かが捕まらない限り、時計は止まったままだ。

世田谷一家殺害事件の遺族が、毎年命日に現場近くで手を合わせているという話を読んだことがある。犯人が分からないまま、それでも誰かに向けて祈り続けている。その「誰か」がどこにいるのか、今も分からない。

スリナムの遺族も同じだと思う。名前も顔も知られていない遠い国の事件だけど、誰かが娘の帰りを待っていた、誰かが答えを求め続けている。それは普遍的な話だ。

こういうことを考えると、「未解決事件を追う」という行為の重さが変わってくる。答えは出ないかもしれない。でも問い続けることが、遺族の声を受け取ることでもあると思っている。

まとめ|未解決事件の構造を理解することの意味

こういう事件をなくしていくには、心霊現象でも超常的な何かでもなく、制度の話になる。捜査のデータベースをつなげること、管轄をまたいで動ける仕組みを作ること、そして社会の端にいる人たちの声が届きやすい環境を整えること。地味だけど、そこしかない。

スリナムの事件は、その典型だった。経済的な弱者が狙われ、制度の隙間に消えていった。世界から注目されなかった。でも、遺族は今も答えを求めている。

未解決事件が「謎のまま」であることは、被害者の家族にとってはずっと続く痛みだ。犯人が分からない限り、失った人を「終わった出来事」として区切ることができない。その重さを忘れずに、こういうテーマと向き合っていきたいと思う。

世界には、まだ名前も知られていない被害者がたくさんいる。それを覚えておくだけでも、何かが変わるかもしれない。

知られてない土地で起きた事件ほど、闇が深かったりするんだよな。シンヤでした。夜はまだ長い、また次の記事で会おう。

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