「不思議の国のアリス」に隠された薬物体験説の真相
子どものころ、絵本で読んだことがある人も多いはず。
白ウサギを追いかけて穴に落ちたアリスが、謎の世界で不思議な体験をする物語。
でも、その「不思議な体験」が実は、ドラッグを使った幻覚体験を描いているという説があることを知っていますか?
ケーキを食べると体が大きくなる。キノコを食べると体が縮む。タバコを吸うイモムシが哲学を語る——。
こうした描写が「ただのファンタジー」なのか、それとも「何か別のものを暗示している」のか。
この説は長年にわたって語り継がれてきました。信じる人もいれば、「考えすぎだ」と一笑に付す人もいる。
でも、調べれば調べるほど、単純に否定できない部分が見えてくるんです。
特に注目したいのが「時代背景」です。1860年代のイギリスは、現代とは全く異なる薬物観を持つ社会でした。その文脈を知らずにアリスを読むと、本当に大事なものが見えてこない。
今回はこの「アリス薬物体験説」について、歴史的な背景から現代の考察まで、できるだけ丁寧に掘り下げていきます。
「不思議の国のアリス」薬物体験説とは何か
まず、この説の基本的な内容を整理しておきます。
「不思議の国のアリス」は1865年、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン、ペンネームでいうとルイス・キャロルによって書かれた作品です。
薬物体験説というのは、この作品の中に登場するさまざまな描写が、薬物(ドラッグ)を摂取したときの幻覚体験を表しているというもの。
特によく指摘されるのが、以下のような場面です。
体が大きくなったり小さくなったりする
アリスはケーキやキノコを食べるたびに、体のサイズが極端に変わります。
これは、LSDや大麻などを摂取したときに起こる「身体感覚の歪み」に似ているとも言われています。
自分の体が実際より大きく感じられたり、逆に小さくなったような感覚になる——こういった体験は、特定の薬物を使ったときに報告されることがあるんです。
LSDを体験した人の証言の中には、「自分の手が信じられないくらい遠くにあるように見えた」「天井が近くなったり遠くなったりした」という描写が残っています。アリスが天井に頭をぶつけるほど大きくなり、狭い部屋に詰め込まれる場面は、こういった幻覚体験とぴったり重なります。
しかもアリスは、「体のサイズが変わること」に怒ったり喜んだりしながらも、基本的に冷静に受け入れていきます。これも「トリップ中の不思議な冷静さ」に似ているという指摘があります。
キノコを食べると体が変化する
物語の中で、アリスは青いイモムシから「このキノコを食べると体が変わる」と教えられます。
キノコといえば、「マジックマッシュルーム」という幻覚作用のあるキノコが連想されます。
シロシビンという成分を含むこのキノコは、摂取すると色が鮮やかに見えたり、時間の感覚がおかしくなったりすることで知られています。
「ただの偶然だ」という意見もありますが、「キノコで体が変わる」という描写はあまりにも直接的に思えます。
さらに言うと、物語の中でアリスはキノコの「どちら側を食べるか」によって体の変わり方が違います。これもシロシビンの「摂取量によって体験が変わる」という性質と重ねて解釈する人がいます。右を食べれば伸び、左を食べれば縮む——まるで用量管理のような描写です。
タバコを吸う青いイモムシ
アリスに忠告を与えるキャラクター、ブルーキャタピラー(青いイモムシ)は、水タバコ(フーカー)をくゆらせています。
この場面も「喫煙=薬物の暗示」として解釈されることがあります。
水タバコはもともと中東・アジア圏の文化で、当時のイギリスではエキゾチックで怪しいイメージがあったとも言われています。
また、イモムシは変容の象徴でもあります。幼虫→さなぎ→成虫という劇的な変化を経る生き物。「体が変わること」を熟知したイモムシが、変化の方法を教えるというのは、単なる偶然には思えないという声もあります。
実際にこのシーンはディズニーのアニメ版でも、煙が文字を形作るなど、幻覚的に描かれています。制作者側も「意図的に」そのイメージを盛り込んでいた可能性があります。
「飲んでください」「食べてください」というラベル
アリスが穴の中で最初に見つけるのが、「DRINK ME(飲んでください)」と書かれたビン。
疑いもせず飲んでしまうアリスの行動が、薬物を無条件に摂取する様子に重ねて見られることがあります。
「指示に従って何でも飲む・食べる」という構図が、繰り返し出てくるのがこの物語の特徴でもあります。
現代の感覚から見ると「知らないものを飲むなんて危険だ」と思いますが、アリスはためらいません。「DRINK ME」と書いてあるから飲む。「EAT ME」と書いてあるから食べる。この無邪気な服従に、違和感を覚えた読者は少なくないはずです。
起源・発祥・歴史的背景
ルイス・キャロルが生きた時代
この説を正しく理解するには、まず「1860年代のイギリス」という時代背景を知る必要があります。
19世紀のイギリスでは、現在では「危険薬物」とされているものが、普通に入手できる状況でした。
アヘンチンキ(ラウダナム)は薬局で売られていて、鎮痛剤や睡眠薬として一般的に使われていたんです。
コカインも、コカ・コーラの元祖となった飲み物の成分として使われていた時代。
現代の感覚で「ドラッグ=違法で危険なもの」という認識は、当時はまだ存在していませんでした。
だから「ルイス・キャロルが薬物を使っていたとしても不思議ではない」という文脈が生まれるわけです。
実際、ヴィクトリア朝のイギリスでは、上流・中流階級の人々がラウダナムを「疲れを取るために」「気分を上げるために」と日常的に使用していた記録が多数あります。特に女性への処方が多く、「神経質な女性を落ち着かせる薬」として家庭に常備されていたほどです。文豪チャールズ・ディケンズもアヘン窟を小説に描いており、当時のロンドンにはアヘンを吸える店が実在していました。
キャロル自身の健康問題
ルイス・キャロルは偏頭痛持ちだったことが知られています。
当時、偏頭痛の治療にアヘン系の薬が使われることは珍しくありませんでした。
また、彼はてんかんに似た症状を持っていたとも言われています。
「アリス症候群」という医学用語をご存じでしょうか。
これは、体のサイズや空間の感覚が歪んで感じられる神経学的な症状で、偏頭痛の前兆として現れることがあります。
実際に、キャロルが経験したこの症状がアリスの体変化の描写に影響を与えたのでは……という説もあるんです。
つまり、「薬物による幻覚」ではなく「神経症状による知覚の歪み」が物語の源になった可能性もあります。
キャロルの日記にはしばしば頭痛に悩まされた記録が残っており、医師から何らかの薬を処方されていた可能性は十分にあります。当時の処方薬の多くにはアヘン成分が含まれていたため、「治療のための薬」と「幻覚を引き起こす薬物」の境界線が今よりずっと曖昧だったのです。
「アリス薬物説」がいつ広まったか
「アリス=ドラッグ」という解釈が広まったのは、意外なことに1960〜70年代のことです。
ヒッピー文化が盛んだったこの時代、LSDやマリファナを使うカルチャーが若者の間に広まりました。
そのなかで、「アリスの世界はドラッグトリップを描いている」という解釈が一気に流行したんです。
1967年にリリースされたジェファーソン・エアプレインの曲「White Rabbit(白ウサギ)」が特に有名です。
「一錠の薬を飲めば、体が大きくなる。もう一錠飲めば、小さくなる」という歌詞は、明らかにアリスをドラッグに絡めた解釈をもとにしています。
この曲がヒットしたことで、「アリス=ドラッグの物語」というイメージが決定的になりました。
ただし、重要なのは「この解釈は1960年代に生まれたもの」だということ。
1865年に書かれた原作に最初からそういう意図があったかどうかは、別の話です。
「White Rabbit」のボーカル、グレース・スリックは後のインタビューで「アリスは明らかにドラッグの物語だ」と語っています。ただ彼女自身が60年代のドラッグカルチャーど真ん中にいた人物であることを考えると、「自分たちの体験をアリスに投影した」という側面も否定できません。解釈する側の文化が、解釈の内容を決定づける——これは都市伝説の典型的なパターンでもあります。
学術的な議論の変遷
文学研究者たちはこの説をどう見ているのでしょうか。
キャロル研究の第一人者とされるマーティン・ガードナーは、「アリスに薬物の暗示があるというのは、後付けの解釈に過ぎない」という立場をとっていました。
彼によれば、キャロルがアリスのモデルにしたアリス・リデルという実在の少女のために作った物語が原型で、ドラッグとの関連は意図されていないとのこと。
一方で、「当時の文化的文脈を考えれば、薬物描写が混入している可能性は否定できない」という研究者もいます。
どちらが「正解」かは、今も完全には決着がついていません。
2004年にはイギリスの新聞「ガーディアン」がこのテーマを取り上げ、「薬物説は文化的な投影に過ぎない」という立場の記事を掲載しました。しかし読者からは「それでも偶然とは思えない」という反論が相次ぎ、議論は今も続いています。キャロルの意図は、彼が墓の中に持っていってしまったのかもしれません。
実際の証言・体験談・考察
「読んでいたら本当に怖くなった」という感想
この記事を書くにあたって、アリスに関する読者の声をいくつか調べました。
実際に本や映画を見た人の中には、「なんか変な感じがする」「読んでいるうちに不安になってきた」という体験を語る人が少なくありません。
あるネット掲示板の書き込みでは、こんなコメントがありました。
「子どもの頃に読んだとき、何が怖いのかわからないけど怖かった。体が大きくなったり小さくなったりする場面が、なぜか夢に出てきた」
「映画版を見ていたら途中から頭が痛くなってきた。色がやたら鮮やかで、なんか現実じゃない感じがした」
「大人になって読み返したら、子どもの頃と全然違う印象だった。特に女王が首を切ると言うシーンが、急に恐ろしく感じた。あの場面って、パニック発作に似た感覚じゃないか?」
これは「薬物体験に近い感覚」と言えるかもしれませんが、逆に言えば「それだけリアルな描写がされている」とも受け取れます。
特に印象的だったのが、「大人になると怖さが変わる」という声の多さです。子どものころは単純に不思議な冒険物語として読んでいたのに、大人になって読み返すと「この世界には出口がないんじゃないか」「アリスは誰にも助けてもらえないんじゃないか」という閉塞感を感じる——という体験を語る人が、思いのほか多くいました。
「アリス症候群」を経験した人の証言
都市伝説ラボのブログオーナー、長尾さんはこの記事の調査過程でこんな話をしてくれました。
「子どもの頃、熱を出したときに天井が遠くなったり近くなったりする感覚があって、すごく怖かった。でも大人になってアリス症候群という言葉を知ったとき、『あの感覚に名前があったのか』とちょっと安心した。アリスを読んだとき、そのときの感覚と重なって、なんかゾクっとしたんです」
この体験は珍しいものではないようです。高熱のときに起こる知覚の歪みは、多くの人が子どものころに経験しているとされています。アリスの描写がその感覚と重なるとき、「これって実体験の記録なんじゃないか」と感じる人が出てくるのは自然なことかもしれません。
精神科医・心理士の見方
精神医学の観点から「アリス症候群」を研究した医師たちは、物語の描写とこの症状の一致に注目しています。
アリス症候群の患者さんは、「自分の手がとても大きく見える」「部屋が縮んでいくような感覚がある」といった体験を報告します。
これはまさに物語の中でアリスが体験することと一致しています。
「キャロルが自分の症状を物語に落とし込んだ」という解釈は、精神科医の中でも比較的支持されているようです。
これが正しければ、「薬物体験」ではなく「神経学的な症状の記録」ということになります。
また別の観点から、ある心理士はこんな指摘をしています。「アリスの特徴的なのは、どんなに奇妙なことが起きても『これはおかしい』と気づいている点です。自分が小さくなっていることも、誰もルールに従っていないことも、論理が崩れていることも、アリスは冷静に観察している。これはある種の解離体験に近い——つまり、体は巻き込まれているけど意識は外から見ている、という状態です」
解離体験は、強いストレスや外傷(トラウマ)のときに起きることがあります。薬物によっても引き起こされます。どちらが先かはわかりませんが、キャロルが何らかの意識変容体験をしていた可能性は、心理学的にも否定しにくいのです。
「意図的に仕込んだ」という視点
一方で、「キャロルは意図的にドラッグの暗示を入れた」という見方をする人もいます。
理由としてよく挙げられるのが、当時の「ナンセンス文学」というジャンルの特性です。
19世紀のイギリスでは、論理をわざと逆手に取った「意味のない話」を書くことが一種の知的遊びとして流行していました。
キャロルはオックスフォード大学の論理学者でもあったため、「論理の崩壊」を楽しむ文脈でこういった描写を入れたという説もあります。
つまり「ドラッグ的な世界観」ではなく「論理が崩れた世界」を描こうとした結果、偶然ドラッグ体験に似た描写になったという考え方です。
オックスフォード大学では当時、論理と言語をめぐる哲学的な議論が活発でした。「言葉は本当に意味を持っているのか?」「ルールは誰が決めるのか?」——キャロルはそういった問いを、子ども向けの物語という形に落とし込んだのかもしれません。マッドハッターのティーパーティーで「座れ」「だめだ」とルールが意味不明に変化するシーンは、まさに「ルールの崩壊」を描いていると読めます。
アリス・リデルとの関係にまつわる話
この記事では深く掘り下げませんが、ルイス・キャロルとアリス・リデルの関係についても、長年さまざまな議論があります。
キャロルはアリスとその姉妹に物語を語り聞かせ、その後アリスの求めで書き起こしたとされています。
「子どもに向けて書いた純粋な物語」という側面と、「大人が楽しめる多層的な作品」という側面が共存しているのがアリスの特徴の一つ。
この「二重性」が、様々な解釈を生む土壌になっているとも言えます。
アリス・リデル家とキャロルの関係は、ある時期から急に途絶えたとされています。その理由は今も謎のまま。キャロルの日記には、ちょうどその時期に該当するページが「誰かの手によって切り取られた」痕跡があるとも言われています。何かを隠したかった人物がいた——それが誰で、何を隠したかったのかは、今となっては確かめるすべがありません。
科学的・民俗学的考察——現代の視点から
「シロシビンキノコ」との関連
現代の研究で特に注目されているのが、「マジックマッシュルーム(シロシビンキノコ)」との関連です。
このキノコはヨーロッパ各地に自生しており、古来から「幻視体験」に使われてきた歴史があります。
19世紀のイギリスでもその存在は知られていたとされており、知識人の間では「この植物の特性」について情報が流通していた可能性があります。
物語の中でアリスが「キノコの上に座っているイモムシ」に出会い、「キノコを食べると体が変わる」と教わる場面。
これがシロシビンキノコの効果を知っている人物が書いた描写とすれば、確かに「出来すぎ」とも言えます。
ただし、確証があるわけではありません。
近年、シロシビンの医療的活用が注目されています。うつ病やPTSDの治療に効果がある可能性があるとして、アメリカやヨーロッパで臨床試験が進んでいます。こうした研究によって、シロシビンが単なる「危険なドラッグ」ではなく「古来から人間が使ってきた植物」であることへの理解が広まっています。そういう意味では、アリスとシロシビンの関係は「過去の話」ではなく、現代とも地続きの問いかけかもしれません。
「アリス症候群」という医学的現象
1955年に精神科医のジョン・トッドが、特殊な知覚障害を「アリス症候群(Todd's syndrome)」と名付けました。
この症状の特徴は次のとおりです。
- 自分の体や周囲の物が実際より大きく、または小さく見える
- 時間の流れが変わる(早く感じたり、遅く感じたり)
- 空間の感覚が歪む
- 自分が分裂しているような感覚
これらの症状は、偏頭痛・てんかん・EBウイルス感染症(伝染性単核症)などで現れることがあります。
ルイス・キャロルが偏頭痛を持っていたことは記録に残っており、「アリスの描写は自身の症状を表現したものだ」という説は医学的な根拠があるとも言えます。
「ドラッグではなく、病気の体験を書いた」という解釈は、薬物体験説とは全く異なる方向性を示しています。
アリス症候群は子どもに多く見られ、大人になるにつれて症状が消えることが多いとされています。「子ども時代にしかわからない感覚を、子どもの主人公を通して描いた」という読み方もできます。キャロルが子ども向けの物語にこだわったのは、子どもの知覚体験——現実と幻想の境界が曖昧な状態——を正確に描きたかったからかもしれません。
民俗学から見る「変容体験」の普遍性
世界中の神話や民話には、「食べ物や飲み物を口にすると異世界に行く」「体が変化する」という描写が頻繁に登場します。
日本でも「桃を食べた浦島太郎が若返る」「食べてはいけない果実を食べた神が力を失う」といった話がありますね。
これは人類共通の「変容への恐れと憧れ」を表しているという見方があります。
アリスが「食べると体が変わるものを次々と試す」という行動も、こうした普遍的な民話のパターンに沿っているとも言えます。
「ドラッグ体験の暗示」ではなく、「人類が古来から持っている変容体験への想像力の表れ」という解釈です。
ギリシャ神話のペルセポネは、冥界のザクロを食べたことで地下世界に縛られます。北欧神話では、オーディンが知恵の実を食べるために自分自身を犠牲にします。「食べることで世界が変わる」というモチーフは、人類が文明を持つ以前から存在していたのかもしれません。アリスの「DRINK ME」「EAT ME」は、この太古のパターンを近代的に再現したものと見ることもできます。
ユング心理学からのアプローチ
心理学者カール・ユングが提唱した「集合的無意識」という概念があります。
人間が文化を超えて共通して持っているイメージやシンボルのことで、夢や神話の中に繰り返し現れるといわれています。
「穴に落ちて別世界へ行く」「体が変化する」「論理が通じない存在と対話する」——これらはユング心理学的には「無意識への旅」を象徴しているとされます。
アリスの物語は、そういった深層心理の旅の物語として解釈することもできます。
薬物体験も、ユング的な無意識体験も、「普段抑圧されている部分が表に出てくる」という点では似た構造を持っているかもしれません。
ユング的な見方では、ウサギの穴は「無意識への入口」であり、ハートの女王は「怒りや支配欲という影(シャドウ)」の象徴です。チェシャ猫の「笑いだけが残る」という描写は、意識が消えても何かが残るという心理的な現象——いわば「フラッシュバック」のような体験——に似ています。これを「ドラッグ後の残像体験」と解釈する人がいるのも、あながち的外れではないかもしれません。
「鏡の中の世界」と意識の二重性
続編の「鏡の国のアリス」では、アリスは鏡の中に入り込みます。
鏡の世界では、すべてが左右反転しています。前に進もうとすると後ろに下がる。話しかけると逆の結果になる。ここでも「論理の崩壊」が徹底しています。
鏡は古来から「もう一人の自分」「影の世界への入口」として象徴的に扱われてきました。薬物体験の中で「もう一人の自分と対話した」という証言は珍しくありません。自己と他者の境界が溶けるような体験——アリスの鏡の世界は、そういった意識の変容を見事に形にしているとも読めます。
現代における意味——なぜ今でも語り継がれるのか
「隠されたメッセージ」への人間の本能的な興味
アリスの薬物体験説が今でも語られ続ける理由の一つは、「隠されたものを暴きたい」という人間の本能にあると思います。
子どものころに読んだ「無害なはずの物語」に、実は大人向けのメッセージが隠されていた——そういう「種明かし」に、多くの人が興奮するわけです。
都市伝説全般に言えることですが、「表の顔」と「裏の顔」というギャップが人を引きつけます。
アリスはその格好のターゲットと言えるでしょう。
この心理は「パターン認識の過剰作動」とも説明できます。人間の脳はパターンを見つけることが得意で、「関係ないものを関連づける」傾向があります。アリスの描写に「ドラッグっぽいパターン」を見出すとき、それは本当に隠されたメッセージかもしれないし、脳が勝手に関連を作り出しているだけかもしれない。でも、その「どちらとも断定できない状態」こそが、都市伝説の本質です。
時代を超えて「再解釈」される作品
「不思議の国のアリス」は、時代ごとに異なる解釈がされてきた作品です。
1865年の出版当時は「子ども向けの奇妙なファンタジー」として受け取られました。
1960年代には「サイケデリック文化のバイブル」になりました。
フェミニズムの観点からは「主体的に行動する少女の物語」として読み直されました。
ポストモダン文学の文脈では「言語と意味の不安定さを描いた作品」として評価されました。
そして現代では、「作者の無意識や病の記録」「ドラッグ文化との関連」「深層心理の可視化」といった視点から読まれています。
これほど多様な解釈を許す作品は珍しい。その「多義性」こそがアリスの魅力であり、長く生き残っている理由でもあります。
ある文学研究者はこう言っています。「古典作品の価値は、時代とともに変わる解釈に耐えられるかどうかで決まる。アリスはその意味で、完璧な古典だ」。どんな時代のレンズで見ても、何かが映る。それが本物の物語の力です。
現代のサブカルチャーへの影響
アリスのイメージは、現代のポップカルチャーに深く浸透しています。
ゲームでいえば「American McGee's Alice」シリーズ。アリスの世界をホラーとして再解釈した作品で、精神病院が舞台になっています。
アニメや漫画でも「不思議の国のアリス」をモチーフにした作品は数えきれないほどあります。
「鏡の国のアリス」「ハートの女王」「マッドハッター」——これらのキャラクターはオカルト・ダーク系のコンテンツで特に人気です。
なぜ「怖いアリス」が受け入れられるのか。
それは、原作の中にすでに「狂気」の種が撒かれているからではないでしょうか。
日本でも「ハートの国のアリス」というゲーム・漫画が人気を集めましたし、ボーカロイド楽曲の「Alice Human Sacrifice(人柱アリス)」はニコニコ動画で長年にわたって語り継がれる怪談系動画になっています。「アリス」というキャラクターが持つ「無垢さと狂気の同居」は、日本のオタクカルチャーとも相性が良いのかもしれません。
「アリス症候群」が現実に存在すること
興味深いのは、医学的な意味での「アリス症候群」が実在するという事実です。
子どもに比較的多く見られる症状で、「親に話すと信じてもらえない」「怖いけど、なんとなく楽しくもある」という患者さんの声も記録されています。
この症状を経験した人がアリスを読むと、「これ、私の体験だ」と感じる——という報告もあるそうです。
フィクションが現実の体験を「言語化」してくれる役割を果たすこともあります。
「アリスを読んで自分の不思議な体験を理解できた」という人がいる事実は、この物語の力を示しているように思います。
ある症例報告では、アリス症候群を経験した10代の女の子が「アリスのことが前より好きになった。あの子も私と同じ体験をしていたんだと思ったら、ひとりじゃない気がした」と語っています。フィクションと現実がこれほど密接に結びついた例は珍しい。キャロルが意図したかどうかはともかく、この物語は「不思議な感覚を持つ人」の心に確かに届いています。
「真相は不明」だからこそ怖い
この記事を通じてわかることは、「アリス薬物体験説」には証明もできず否定もできない部分がある、ということです。
キャロルがドラッグを使っていたという直接的な証拠はない。でも、当時の時代背景を考えれば可能性は否定できない。
「アリス症候群」の症状が物語の描写と一致している。でも、キャロルが意図的にそれを書いたかどうかはわからない。
「隠されたメッセージがある」とも言えるし、「後付けの解釈に過ぎない」とも言える。
こういった「どちらとも断定できない謎」こそが、都市伝説の本質です。
答えが出ないから怖い。答えが出ないから考え続けてしまう。
アリスはそういう意味で、完璧な「都市伝説の素材」と言えるかもしれません。
もしキャロルが今生きていて「あの本にドラッグの意図はあったか?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。おそらく彼は、チェシャ猫のようにニヤリと笑って、消えてしまうのではないでしょうか。答えを出さないことそのものが、この作品の戦略なのかもしれません。
まとめ
「不思議の国のアリス」に隠された薬物体験説について、ここまで掘り下げてきました。
整理すると、次のようになります。
薬物体験説の根拠として挙げられるもの
- 体が大きくなったり小さくなったりする描写——薬物による身体感覚の歪みに似ている
- キノコを食べると体が変わる——マジックマッシュルームの連想
- 水タバコを吸うイモムシ——喫煙・薬物の暗示
- 19世紀のイギリスでは薬物が一般的に使われていた
- 1960年代のヒッピー文化でこの解釈が広まった
- 「White Rabbit」など当時のアーティストが公言していた
薬物体験説に反する見方
- キャロルが薬物を使っていたという直接的な証拠はない
- 「アリス症候群」という神経症状が物語の描写の源かもしれない
- 19世紀のナンセンス文学の伝統に沿った表現である可能性
- 民俗学的な「変容体験」の普遍的なパターンである可能性
- 「薬物の暗示」は1960年代に後付けで生まれた解釈という説
- 論理の崩壊を描こうとした結果として偶然似た描写になった可能性
どちらが「正しい」かは、今も決着がついていません。
ただ、この物語が「何かを隠しているかもしれない」という感覚を与え続けるのは確かです。
子どもの頃に「楽しいお話」として読んだものが、大人になって見直すと「別の何か」に見えてくる。
それはアリスという作品が、時代を超えて人を引きつける力を持っているからだと思います。
ひとつだけ確かなことがあるとすれば、「不思議の国のアリス」は「読む人の状態によって、全く違う物語になる」ということです。子どものときに読んだアリス、大人になってから読んだアリス、体調が悪いときに読んだアリス——それぞれが全く別の体験を与えてくれる。これだけの懐の深さを持った作品は、世界広しといえどもそう多くありません。
次にアリスを読むとき(あるいは映画を見るとき)、ぜひ「この描写は何を表しているのか」と考えながら楽しんでみてください。
白ウサギの穴は、あなたが思うよりずっと深いかもしれません。
※この記事は都市伝説・オカルト的観点からの考察を含みます。薬物の使用を推奨するものではありません。「アリス症候群」については医療機関でのご相談をお勧めします。