よう、シンヤだ。前に調べたことあるんだけどさ、19世紀のロンドンで街中が「吸血鬼が出た」ってパニックになった事件があるんだよ。あの時代の霧のロンドンで何が人々をそこまで追い詰めたのか、今夜はその話をしようか。

ロンドンの吸血鬼パニック|集団ヒステリーの歴史的事例

1954年、ロンドン南部のハイゲート墓地の周辺で「吸血鬼が出没している」という噂が広まった。数百人もの群衆が夜の墓地に押し寄せるという、今では信じがたい騒動が実際に起きている。「ハイゲート吸血鬼」と呼ばれるこの事件、なぜ人々はそこまで本気になってしまったのか。集団がパニックに陥るときの心理がよく見えてくる話だ。

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ハイゲート墓地とはどんな場所か

舞台の話からしよう。ハイゲート墓地(Highgate Cemetery)は、ロンドン北部のハイゲートという地区にある。1839年に開設された、かなり古い墓地だ。

19世紀のロンドンは人口爆発の時代で、既存の教会墓地がパンクしていた。そこで郊外に大規模な「庭園式墓地」を整備する動きが起きた。ハイゲートはその代表格で、広大な敷地に石造りの霊廟や彫刻が並ぶ、当時としてはかなり豪華な場所だった。

ところが20世紀に入ると維持管理が追いつかなくなる。第二次大戦後はほぼ放棄状態になり、木々が伸び放題になった。石畳は割れ、蔦が霊廟を飲み込み、墓石はあちこちに傾いた。昼でも薄暗い、いかにも「なにかいそう」な場所に変貌していった。

著名人の墓も多い。哲学者カール・マルクスや、小説家ジョージ・エリオットも眠っている。そういう歴史的な重みと、荒廃した雰囲気が混ざり合って、この場所にはどこか特別な空気が漂っていた。

ヴィクトリア朝の「死の美学」とゴシック建築

ハイゲート墓地を語るうえで外せないのが、ヴィクトリア朝時代の死に対する独特の美意識だ。当時のイギリスでは「美しく死を悼む」ことが一種の文化として成立していた。墓地は単なる埋葬場所ではなく、芸術作品のように設計された。

ハイゲートの西側エリアには「エジプシャン・アヴェニュー」と呼ばれる通路がある。入口にはエジプト風の柱が立ち並び、その奥にはサークル・オブ・レバノンという円形の霊廟群がある。巨大なレバノン杉を中心に、放射状に石造りの納骨堂が配置されている。生きている人間が見ても圧倒されるような空間で、荒廃した後の姿はなおさら異様だった。

ゴシック・リバイバル様式の尖塔やアーチ、天使の彫刻、十字架。これらが苔むし、蔦に覆われ、木漏れ日の中で朽ちていく。それはまさにゴシックホラーの舞台そのものだった。ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』に登場する墓地のシーンは、ハイゲートからインスピレーションを得たという説もあるくらいだ。実際にストーカーがハイゲートを訪れたかどうかは確証がないが、少なくとも当時のロンドン市民にとって、この場所と吸血鬼が結びつくのは自然なことだったと思う。

「マグニフィセント・セブン」と呼ばれたロンドンの墓地群

ハイゲートは、1830年代から40年代にかけてロンドンに建設された7つの大規模共同墓地の一つだ。ケンサル・グリーン、ウエスト・ノーウッド、アブニー・パーク、ブロンプトン、ナンヘッド、タワー・ハムレッツ、そしてハイゲート。これらは後に「マグニフィセント・セブン(壮麗な7つ)」と呼ばれるようになった。

背景にあったのは深刻な公衆衛生問題だ。ロンドンの教会墓地は文字通り死体であふれ返っていた。浅い場所に埋葬された遺体が地面から露出したり、墓地周辺の井戸水が汚染されたりする事態が頻発していた。コレラの流行もこの問題と無関係ではなかった。議会が動いて郊外に大型墓地を作ることが決まり、その結果生まれたのがこの7つの墓地だった。

つまりハイゲート墓地は、もともと「死があふれた街」が生み出した場所なのだ。死が日常に溢れていた時代の名残りが、そこに物理的な形で残っている。そういう場所で怪異の噂が生まれるのは、ある意味で必然だったのかもしれない。

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事件の経緯

1960年代後半から、ハイゲート墓地の周辺で「灰色の人影を見た」という証言が相次ぎはじめた。噂はじわじわ広がり、1970年にテレビ番組がこの話題を取り上げた。放送の翌日の夜、群衆が墓地に殺到した。なかには墓を掘り返す者まで現れ、もはや「怪物を探す集団」というより、ひとつの騒乱に近い状態だった。

最初の証言をもう少し詳しく見てみると、こんな感じだった。「墓地のフェンス越しに、背の高い黒い人影が浮かんでいるのを見た」「目が赤く光っていた」「近づくと空気が急に冷たくなった」。どれも夜間の目撃だ。

当初は「気のせいだろう」で片付けられていた。でも同じような話が複数の人から出てくると、さすがに無視できなくなる。地元の新聞が取り上げ、さらにテレビが飛びついた。「ロンドンに吸血鬼が!」という見出しが躍り、一気に話題になった。

そして1970年3月13日の金曜日。テレビの放送を見た人々が、深夜のハイゲート墓地に集まりはじめた。警察の記録によると、その夜だけで数百人が墓地周辺に現れたとされている。鉄の門を乗り越えて侵入する者、松明を持ち込む者、杭と木槌を手にして歩き回る者まで出た。完全に映画の世界が現実に飛び出してきたような光景だった。

テレビ番組が火をつけた夜

事件の引き金を引いたテレビ番組について、もう少し掘り下げておく。ITV(独立テレビジョン)の夕方のニュース番組「Today」が、ハイゲートの吸血鬼騒動を特集した。番組内ではデビッド・ファーラントがインタビューに答え、「墓地で超自然的な存在を目撃した」と証言。さらにショーン・マンチェスターも出演し、「中世のルーマニアから持ち込まれた吸血鬼が墓地に潜んでいる」と真顔で語った。

視聴者にとって、ニュース番組で報じられたという事実が大きかった。バラエティやオカルト専門番組ではなく、「ニュース」だ。それだけで信憑性が跳ね上がる。「テレビのニュースで言ってた」というのは、当時の人にとって相当な重みを持つ言葉だったのだ。

番組の構成も巧みだった。荒廃した墓地の映像を夕暮れ時に撮影し、不穏なBGMを被せ、証言者の表情をアップで映す。事実を淡々と伝えるというより、明らかに恐怖を煽る演出がされていた。視聴率を取るためのテクニックとしては効果的だったが、その代償は大きかった。

「13日の金曜日」という偶然

群衆が殺到した1970年3月13日が金曜日だったというのも、偶然とはいえ騒動に拍車をかけた。13日の金曜日は西洋文化圏で広く不吉な日とされている。キリスト教の伝統では、イエスの磔刑が金曜日であり、最後の晩餐の出席者が13人だったことに由来するとされる。

もっとも、当時の群衆がそこまで意識的に「13日の金曜日だから行こう」と考えていたかどうかはわからない。ただ、メディアは当然そこを強調した。「13日の金曜日に吸血鬼退治」という見出しは、記者にとって最高の素材だったはずだ。日付という偶然が物語に完璧なフレームを与えてしまった例だと思う。

二人の男が引き起こした対立

この騒動をさらに複雑にしたのが、二人の人物の存在だ。ショーン・マンチェスターとデビッド・ファーラントという二人で、どちらも「ハイゲートの吸血鬼問題の専門家」を名乗っていた。

マンチェスターはオカルト研究家で、「墓地にいるのは本物の吸血鬼だ。自分が退治する」と公言していた。彼は実際にグループを組んで墓地に乗り込み、棺を開けてニンニクを詰め込んだり、杭を打ち込んだりという「儀式」を行ったと主張している。本人はその様子を本にまとめ、後に出版している。

一方のファーラントはオカルト団体の幹部で、こちらも「吸血鬼は存在する」という立場だったが、マンチェスターとは犬猿の仲だった。二人はメディアを通じて互いを批判し合い、「本物の専門家はどちらか」という争いを繰り広げた。

ファーラントは後に墓地侵入と墓の損壊で有罪判決を受けている。マンチェスターは法的な問題は回避したが、彼の「退治」の話の真偽は今も怪しいままだ。この二人の対立が、事件に妙な熱を加え続けた。

マンチェスターの「ヴァンパイア・ハンター」物語

マンチェスターの主張をもう少し詳しく見ておくと、なかなか壮大な話になっている。彼によれば、ハイゲートに潜む吸血鬼の正体は、中世にワラキア(現在のルーマニア南部)で活動していた貴族の亡霊だという。18世紀にイギリスに渡り、ハイゲート墓地に棲みついたのだと。

マンチェスターは1973年に墓地内のある霊廟に侵入し、棺の中の遺体にニンニクと聖水を使った「除霊」を行ったと述べている。さらに数年後には別の場所で「吸血鬼の最終的な滅殺」を行ったとも主張した。杭を打ち込み、首を切断し、火で焼いたのだと。

当然ながらこの話には物的証拠がほとんどない。写真が何枚か公開されているが、暗い棺の中の不鮮明な画像で、何が映っているかの判断は困難だ。彼の著書『The Highgate Vampire』は1985年に出版され、オカルト愛好家の間ではそれなりに読まれたが、内容の検証は不可能に近い。

興味深いのは、マンチェスターが後に「英国旧カトリック教会」の司教を名乗るようになったことだ。これはローマ・カトリック教会とは別の、独立系の組織だ。吸血鬼退治という「実績」を宗教的権威に結びつけようとしたのだろうか。本人の意図は推測の域を出ないが、自己演出に長けた人物だったことは確かだ。

ファーラントの転落

一方のファーラントの末路はもう少し悲惨だった。1974年、彼は墓地の近くで木製の杭やニンニクの十字架を持っているところを警察に見つかり逮捕された。裁判では墓地への不法侵入と墓の損壊で有罪となり、禁固刑を受けている。

ファーラントの問題はさらにエスカレートした。彼はウィッカ(現代魔術)の実践者でもあり、墓地で裸体の儀式を行ったとも報じられた。この時代のイギリスでは、オカルトへの社会的な目はかなり厳しかった。「吸血鬼ハンター」から「墓荒らしの変人」へと、メディアでの扱いは急速に悪化していった。

出所後もファーラントはハイゲートの吸血鬼について発信を続け、ウェブサイトやYouTubeで自身の立場を主張した。マンチェスターとの罵り合いはインターネットの時代にまで持ち越され、双方のファンが掲示板で論争を繰り広げるという、なんとも現代的な展開を見せている。二人の対立は、事件から半世紀経っても完全には終わっていない。

集団ヒステリーの心理学

これは「集団ヒステリー」と呼ばれる現象だ。社会に不安や恐怖が漂っているとき、メディアがそれを煽るように報じると、人々の感情は一気に増幅される。ハイゲート事件では、荒廃して薄暗い墓地という舞台、テレビによる煽情的な報道、そして人間が元々持っている恐怖と好奇心が重なった。そうなると、夜の墓地で見た影は何であっても「吸血鬼に見えてしまう」。期待がものの見え方を変えてしまうのだ。一人が「見た」と言えば次の人も見えてくる。そういう連鎖が、何百人もの群衆を動かした。

心理学的には「確証バイアス」という言葉で説明できる部分が大きい。「吸血鬼がいる」という前提で墓地に入ると、木が揺れる音も、墓石の影も、全部その証拠に見えてくる。怖いと思っているときの人間の感覚は、かなり信用できない。

同調圧力の影響も見逃せない。周りの人が「見えた」「感じた」と言い始めると、「自分は感じなかった」と言いづらくなる。見えていなくても「なんとなくそんな気がする」に変わっていく。集団の中では個人の判断力がかなり鈍る。

それに1970年代のイギリスは経済的な低迷期にあった。社会への漠然とした不満や不安が高まっていたころだ。見えない敵や謎めいた存在への恐怖が増幅されやすい土壌が、すでにできあがっていたとも言える。

「モラルパニック」という視点

社会学者スタンリー・コーエンが1972年に提唱した「モラルパニック」という概念がある。社会の特定の集団や現象が「脅威」として過剰にクローズアップされ、メディアと世論が一体となってパニック状態を作り出すという理論だ。コーエンの研究対象は1960年代のモッズとロッカーズの抗争だったが、ハイゲート事件にもこのフレームワークはきれいに当てはまる。

モラルパニックの典型的なパターンはこうだ。まず「脅威」が特定される(墓地の吸血鬼)。次にメディアがセンセーショナルに報じる(テレビニュースの特集)。社会の「道徳的企業家」が介入する(マンチェスターとファーラント)。当局が対応を迫られる(警察の出動)。そして最終的に脅威は消滅するか、社会が忘れていく。

ハイゲート事件がモラルパニックの教科書的な事例として面白いのは、「脅威」が超自然的な存在だったという点だ。通常のモラルパニックでは、実在する集団(若者の非行グループなど)がターゲットになる。しかしハイゲートでは存在しないもの——吸血鬼——が脅威として機能した。これは、人間の恐怖がいかに根拠を必要としないかを示している。

暗闘と恐怖——人間の視覚の限界

もう一つ、生理学的な側面にも触れておきたい。人間の目は暗所での性能がかなり低い。網膜の桿体細胞(暗所視を担当する細胞)は色を識別できず、形の認識精度も低い。暗い場所で周辺視野に何かが動いたように見える現象は、目の構造上ごく普通のことだ。

さらに、人間の脳は不完全な視覚情報を「補完」する傾向がある。特に恐怖状態にあるとき、脳は安全確保のためにパターン認識を過敏にする。木の枝の影が人型に見え、風で揺れる草が何かが走ったように感じられる。これは進化の過程で身についた防衛機制で、「見間違いでもいいから早く逃げる」方が生存に有利だったからだ。

つまり夜の墓地で「何かを見た」という証言は、嘘をついているわけでも、精神に異常があるわけでもない。人間の視覚システムが正常に動作した結果として、そう見えたのだ。問題は、その知覚体験が「吸血鬼」という物語に回収されてしまったことにある。

イギリスにおける吸血鬼伝承の歴史

ハイゲートの事件を理解するためには、そもそもイギリスで「吸血鬼」がどう受容されてきたかを知っておく必要がある。

吸血鬼の伝承はもともと東欧が本場だ。セルビア、ルーマニア、ブルガリアなどの農村部では、死者が蘇って生者の血を吸うという信仰が何世紀にもわたって存在していた。18世紀にはオーストリア帝国の支配下にあった東欧各地で「吸血鬼騒動」が起き、軍が派遣されて墓を掘り返す調査まで行われている。

この東欧の伝承がイギリスに本格的に輸入されたのは18世紀後半から19世紀にかけてだ。ゴシック文学の勃興がそのきっかけだった。ジョン・ポリドリの短編『吸血鬼』(1819年)、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)、そしてブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)。これらの作品が、吸血鬼のイメージをイギリス文化に深く刻み込んだ。

特にストーカーの『ドラキュラ』の影響は絶大だった。東欧の貴族がロンドンにやってきて人々を襲うという物語は、当時のイギリス社会が抱えていた「外部からの脅威」への恐怖を投影したものでもあった。帝国主義の裏側にある、植民地からの「逆侵略」への無意識の不安。異文化への恐れ。そういったものが吸血鬼という姿に凝縮されていた。

つまりハイゲートの群衆が「吸血鬼」を恐れたとき、彼らの頭の中にあったのは東欧の農村伝承ではなく、ストーカーやハマー・フィルムの映画が作り上げた「イギリス的な吸血鬼像」だった。マントを翻し、赤い目を光らせ、墓地に棲む貴族的な存在。フィクションが伝承を上書きし、その上書きされた像が現実の恐怖として機能した。入れ子構造みたいなものだ。

ハマー・フィルムとホラー映画の影響

1950年代から70年代にかけて、イギリスのハマー・フィルム・プロダクションズが量産したホラー映画の影響は無視できない。クリストファー・リーが演じたドラキュラ伯爵は、まさにハイゲート事件の時代にイギリス中の映画館で上映されていた。

リーのドラキュラは1958年の第一作から1973年まで、計9本の映画で演じられている。血の滴る牙、赤く光る目、マントの翻り。その映像が当時の人々の「吸血鬼」のイメージを決定づけていた。ハイゲートでの目撃証言に「赤い目」「背の高い黒い影」という描写が多いのは、ハマー映画の影響を強く受けていると考えるのが自然だ。

映画の中で吸血鬼が棲むのは決まって古い墓地や廃墟だった。荒廃したハイゲート墓地は、まさにスクリーンの中の世界がそのまま現実に存在するような場所だった。フィクションと現実の境界が曖昧になる条件が、これでもかと揃っていたわけだ。

実際に何が起きていたのか

では本当のところ、あの墓地で何が起きていたのか。

現実的な説明としてよく挙がるのが「不法侵入者」だ。荒廃した広大な墓地は、若者たちの格好の溜まり場になっていた。夜に集まって焚き火をしたり、儀式ごっこをしたりするグループがいたのは事実らしい。それが遠くから目撃者に「灰色の人影」として見えた可能性がある。

当時の墓地では動物の死骸が見つかることもあった。野生のキツネや鹿が敷地内に入り込んで死ぬことは珍しくない。それが「吸血鬼に血を吸われた被害者の遺体」として語られた疑いもある。

目が赤く光って見えたという証言については、動物の目が暗所でライトを反射する現象(タペタム)が原因だったかもしれない。キツネやネコが目を光らせているのを、恐怖心の中で見ると全然違うものに見える。

もちろんこれらは「そうだった可能性がある」という話で、確認された事実ではない。ただ、複数の合理的な説明が存在する以上、超自然的な存在を想定する必要は薄いとは言えるだろう。

1960年代ロンドンのカウンターカルチャーとオカルトブーム

事件の背景として、1960年代後半のイギリスにおけるオカルトブームも押さえておくべきだ。ヒッピー文化やカウンターカルチャーの流行の中で、既存の宗教や科学に対するオルタナティブとして、魔術やオカルトへの関心が一気に高まった時期だった。

アレイスター・クロウリーの思想が再評価され、ウィッカ(現代魔術)の実践者が増加し、降霊術や黒魔術への興味が若者を中心に広がっていた。ハイゲート墓地で夜間に「儀式」を行っていたグループが実在したのも、このような時代背景があったからだ。

つまり墓地で見つかった焚き火の跡、ろうそくの残骸、描かれた図形などは、吸血鬼の仕業ではなく、オカルトに傾倒した若者たちの活動の痕跡だった可能性が高い。しかしそれが「吸血鬼の儀式の証拠」として解釈されてしまう。一度物語のフレームができあがると、あらゆる痕跡がその物語を補強する材料として読み替えられてしまう。

この話の「怖さ」の本質

ここが個人的に一番興味深い部分なんだけど、ハイゲート事件の怖さは「吸血鬼がいたかどうか」じゃないと思っている。

怖いのは、普通の人間が集まるだけで、こんな状態になれるという事実だ。誰か一人が突出した悪意を持っていたわけじゃない。暴力的な犯罪者集団でもない。ごく普通の市民が、恐怖と好奇心と群集心理の中で、夜の墓地を掘り返すところまでいってしまった。

現代に置き換えると、これはSNSのデマ拡散に近い構造だ。「〇〇が危ない」という情報が広がると、確認もせず共有する人が増える。エスカレートする。実害が出る。最終的に「でも根拠なかったよね」となる。仕組みはほとんど同じだ。

ハイゲート事件は1970年の話だけど、人間の集団心理は50年経ってもそう変わっていない。メディアがテレビからSNSに変わっただけで、恐怖の増幅と連鎖のパターンは今も同じように起きている。

世界各地の類似事件

ハイゲートのような集団パニックは、決して孤立した現象ではない。歴史を遡ると、似たような事例が世界中で見つかる。

1816年、セルビアのメドヴェジャ村では、死んだ農夫が吸血鬼として蘇ったという噂が村中に広がり、オーストリア軍の軍医が派遣されて墓を掘り返す公式調査が行われた。掘り出された遺体は膨張し、口元に血がついていた(これは死後の腐敗過程で起きる自然現象だが、当時は知られていなかった)。軍医の報告書は公文書としてウィーンに送られ、ヨーロッパ中に「吸血鬼は実在する」という恐怖を撒き散らした。

もう少し時代を下ると、1938年のアメリカでオーソン・ウェルズがラジオドラマとして放送した『宇宙戦争』の騒動がある。火星人が地球に侵攻してきたという架空のニュース形式の放送を、実際のニュースと信じた人々がパニックを起こした。この事件も、メディアの影響力と人間の恐怖心がどう結びつくかを示す古典的な事例だ。

さらに2016年のアメリカでは「殺人ピエロ」騒動が起きた。SNS上で「不気味なピエロの扮装をした人物がうろついている」という投稿が拡散し、全米でパニック状態になった。学校が閉鎖され、逮捕者が出て、マクドナルドがロナルド・マクドナルドの出演を自粛する事態にまで発展した。これはSNS時代のハイゲート事件と呼べるかもしれない。

共通するのは、恐怖の対象が曖昧であるほどパニックが広がりやすいという点だ。具体的で検証可能な脅威よりも、正体不明の「何か」の方が人を動かす力が強い。見えないからこそ、各自が最悪の想像で空白を埋めてしまうからだ。

現在のハイゲート墓地

騒動から半世紀以上経った今、ハイゲート墓地はどうなっているか。

1975年に「ハイゲート墓地の友の会」という保存団体が設立され、現在は整備されて一般公開されている。ガイド付きツアーも行われており、年間何万人もの観光客が訪れる人気スポットになった。

ただし今も西側エリア(ウエスト・セメタリー)はガイドツアーのみの入場で、個人での自由散策はできない。敷地が広く、古い構造物が多いため安全管理の都合もあるらしい。

マルクスの墓は東側(イースト・セメタリー)にあり、こちらは比較的自由に見学できる。観光名所として整備された今も、夕暮れ後の雰囲気はそれなりに独特らしく、ツアーガイドが「吸血鬼伝説」を必ず語り継いでいるとも聞く。

事件の主人公の一人、ショーン・マンチェスターは今もオカルト関連の活動を続けているようだ。「ハイゲートの吸血鬼を退治した男」として自己紹介し続けている。真相はともかく、この話が彼にとっての「生涯の代表作」になったのは間違いない。

「ダークツーリズム」としてのハイゲート

近年、ハイゲート墓地は「ダークツーリズム」の文脈でも注目されている。ダークツーリズムとは、死や災害、悲劇に関連する場所を訪れる観光のことだ。アウシュヴィッツやチェルノブイリ、ポンペイなどがその代表例として知られている。

ハイゲートの場合、歴史的な墓地としての価値、ヴィクトリア朝の建築美、カール・マルクスの墓、そして吸血鬼伝説。複数のレイヤーが重なっていて、訪問者は自分なりの関心に合わせてこの場所を楽しめる。純粋に建築や歴史に興味がある人、マルクスの墓参りに来る左翼の活動家、そしてオカルトファン。それぞれが同じ場所に全く違う意味を見出しているのが面白い。

墓地の管理団体は吸血鬼伝説について公式にはノーコメントの立場を取っている。ただ、ガイドツアーでは必ずこの話題に触れるし、墓地のギフトショップには吸血鬼関連のグッズが並んでいる。完全に否定するわけでもなく、かといって前面に押し出すわけでもない。歴史の一部として適度な距離感で扱っている、という印象だ。

似たような話に出会ったら

「吸血鬼の騒動なんて昔の話でしょ」と思うかもしれない。でも集団が恐怖で動く構造自体は、今も普通に起きている。

もし自分の周りで「〇〇が怖い」「〇〇に気をつけろ」という情報が広がりはじめたとき、立ち止まって考えてみるといい。その情報の最初の発信源は誰か。それを拡散しているのはどんな人たちか。みんなが「見た・感じた」と言っているとき、自分は本当に何かを体験しているのか、それとも「そう思いたい」状態になっていないか。

集団の中にいると、その問いを立てること自体が難しくなる。だから「なんか変な空気になってきたな」と感じた瞬間に、一歩引く習慣が大事だと思っている。別に冷めた人間でいろということじゃない。ただ、群れの熱に飲み込まれたまま動くのは、ハイゲートの群衆と同じ状態だという自覚を持っておくだけでいい。

情報リテラシーの起点としてのハイゲート事件

ハイゲート事件から学べることを現代風にまとめると、いくつかのチェックポイントが浮かび上がる。

まず、情報の一次ソースを確認すること。ハイゲートの場合、最初の「灰色の影」の目撃証言は、具体的にいつ、どこで、誰が、どんな条件で見たのかがあいまいだった。それが新聞やテレビで伝言ゲームのように拡大再生産されていった。現代のSNSでもまったく同じことが起きる。スクリーンショットの転載、引用の引用、文脈を切り取った短い動画。元の情報にたどり着く前に感情だけが先行する。

次に、「権威者」の発言を疑うこと。マンチェスターもファーラントも、自称「専門家」だった。専門家の肩書きがあるだけで発言の信憑性は跳ね上がるが、その専門性が本物かどうかは別の話だ。現代でも「元〇〇」「〇〇の第一人者」という肩書きだけで無条件に信じてしまう人は多い。

そして、自分の感情の動きに自覚的であること。恐怖や怒りや興奮を感じているとき、人の判断力は確実に低下する。ハイゲートの群衆が杭と木槌を持って墓地に乗り込んだとき、彼らは間違いなく「正しいことをしている」と感じていた。感情的な確信は、事実の確認の代わりにはならない。

まとめ

ハイゲート吸血鬼事件を振り返ると、荒廃した舞台、不安定な時代背景、センセーショナルなメディア報道、人間の根っこにある恐怖と好奇心――これらが重なって「集団パニック」が生まれたのがよくわかる。

舞台と媒体が違うだけで、同じことは現代でも普通に起きている。テレビがSNSになり、墓地がタイムラインに変わっただけだ。

吸血鬼がいたかどうかより、なぜ人がそこまで信じてしまったのかの方が、ずっと面白い問いだと思う。そしてその答えは、他人事ではなく自分の中にもある。

集団の恐怖ってのは、本物の怪物より厄介だったりするんだよな。シンヤでした。夜はまだ長い、また付き合ってくれ。

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