よう、シンヤだ。今夜はちょっとスケールのでかい話をしようと思ってさ。19世紀のアメリカで、ある一家がマジで説明のつかない怪現象に巻き込まれた事件があるんだよ。ポルターガイストとか、そういう生やさしいレベルじゃない。当時の大統領まで関心を寄せたっていうんだから、これがまた面白くてさ。

ベル・ウィッチ事件|アメリカ最恐の超常現象記録

1817年から1821年にかけて、テネシー州アダムズのベル家を次々と不可解な出来事が襲った。この事件はアメリカ史上もっとも詳細に記録されたポルターガイスト事件で、当時のアンドリュー・ジャクソン将軍——後の第7代大統領——が実際に調査に訪れたとも伝えられている。

ベル家とはどんな一家だったのか

ジョン・ベルは1750年代に生まれた農場主で、信仰心の厚いプロテスタントだった。地域のコミュニティでも顔が知られた存在で、教会の長老を務めていたほど。妻のルーシー、そして複数の子どもたちと、テネシー州のレッドリバー沿いに農場を構えて暮らしていた。当時のアメリカ南部では、ごくありふれた開拓者の家族の話だ。

特別なことは何もない。そのはずだった。

ところが1817年の秋ごろから、家の中で奇妙な音がしはじめる。最初は「ドン、ドン」と壁を叩くような鈍い音。夜中に聞こえてくるから、最初はどこかの動物でも壁の隙間に入り込んだんじゃないかと思ったらしい。でも調べても何も見つからない。そのうち音は激しくなっていく。

怪現象の前触れ——畑で見た奇妙な動物たち

実は壁の音が始まる少し前、ジョン・ベルは農場の敷地内で見慣れない動物に遭遇している。犬のような体に大きな頭を持つ奇妙な生き物を畑で見つけて銃を撃ったが、命中したはずなのにその生き物は消えてしまったという。息子のドリューもまた、木の枝に止まった巨大な鳥のような生き物を目撃したと語っている。

こうしたエピソードが事実なのか、後から記憶が付け足されたのかは判断できない。ただ、怪現象に巻き込まれた人々が「最初から何かがおかしかった」と振り返るのは、こういう事件ではよくあるパターンだ。人間の記憶は「物語」を作りたがる。前触れがあったほうが話としてまとまるから、無意識にそう整理してしまうこともある。

とはいえ、記録に残っている以上、完全に無視するわけにもいかない。「何かがこの土地に近づいてきていた」——少なくとも当時のベル家の人間たちは、そう感じていたのだろうと思う。

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事件の経緯

最初はただの壁を叩く音だった。それが徐々に変わっていく。ベッドシーツが何者かに引き剥がされ、家族が見えない力で殴られるようになり、やがて空中から声が聞こえ始めた。「ケイト」と名乗るその声は、家長のジョン・ベルを執拗に狙い続けた。ジョンは1820年に死亡。枕元からは正体不明の液体が入った瓶が見つかったとされている。

現象はどんどん激しくなっていった

音が始まってしばらくは、家族の中でも「気のせいだ」という空気があったようだ。でも数週間が経つと、誰もそうは言えなくなる。

子どもたちが眠っているベッドから、シーツや毛布が突然引き剥がされるようになった。引っ張っても見えない力で引き戻される。髪の毛を引っ張られた、頰を叩かれた——という証言が家族の複数から出てきた。物理的な接触があるのに、そこには誰もいない。

それだけじゃない。やがて声が聞こえ始める。最初はうめき声のようなものだったが、次第にはっきりした言葉を話すようになった。聖書の一節をすらすらと引用することもあったという。声は女性のものとも、老人のものとも聞こえたと記録にある。

ベル家では「これは近所の人間の仕業じゃないか」と疑って調べたこともある。でも証拠は出なかった。やむなくジョン・ベルは信頼できる隣人のジェームズ・ジョンソンに相談し、ジョンソンが証人として現場に泊まりこんで確認することになった。ジョンソンも現象を目の当たりにして、これは「邪悪な霊の仕業」だと結論づけたとされている。それからこの話は地域に広まっていった。

地域に広がった噂と押し寄せた見物人たち

ジョンソンの報告をきっかけに、ベル家の怪現象は近隣一帯に知れ渡った。当時のテネシー州は人口が密集しているわけではなかったが、それでも噂というのは驚くほど速く伝わる。教会、市場、街道沿いの宿——人が集まる場所では必ずベル家の話が出たという。

すると何が起きたか。見物人が押し寄せてきた。毎晩のようにベル家には近隣の住民や、遠方からの好奇心旺盛な旅人がやってきて、「本当に声が聞こえるのか」を確かめようとした。ジョン・ベルは信仰深い人間だったから、こうした人々を追い返すこともできず、結果的にベル家は一種の「公開された心霊現場」のようになってしまった。

訪問者たちの多くは、実際に何かしらの現象を体験したと証言している。声が聞こえた、見えない手で触られた、家具が勝手に動いた。これらの証言がすべて嘘だったとは考えにくい。ただし、暗い部屋の中で「何かが起きるはずだ」と思い込んでいる集団がいたら、錯覚や暗示にかかりやすくなるのも確かだ。期待は知覚を歪める。心理学でいう確証バイアスがフル稼働する環境だったと言える。

「ケイト」と名乗る声の奇妙な性格

この霊は地元では「ケイト」と呼ばれるようになった。声が「ケイト・バッツ」を名乗ったという説もあるし、それは後からつけられたあだ名だという説もある。諸説あってはっきりしない部分だ。

ケイトの言動で面白いのは、一貫性がないことだ。ルーシー(ジョンの妻)には比較的やさしかった。讃美歌を一緒に歌うこともあったとか、ルーシーが体調を崩したとき見舞いの言葉をかけたという話もある。一方でジョン・ベルへの敵意は執拗で、声を荒げて罵ったり、眠れないように嫌がらせをしたりした。

なぜジョンだけが狙われたのかは、当時も今も謎のままだ。のちにリチャードの記録では「ケイト・バッツという近所に住んでいた女性の霊で、ジョンとのあいだに土地をめぐる揉め事があった」という説が書かれているけど、これも裏付けが曖昧だ。

ケイトが語った「自分の正体」

記録の中で興味深いのは、ケイトが自分自身の正体について複数の異なる説明をしていることだ。あるときは「インディアンの霊だ」と言い、またあるときは「魔女だ」と名乗り、さらには「ただの精霊だ」と語ったこともあるという。どれも食い違っていて、信用しろというほうが無理だ。

これについても解釈は分かれている。「霊が意図的に嘘をついて混乱させていた」という見方もあれば、「複数の声を出していた人間がいて、設定が定まっていなかった」という見方もある。もし誰かが演技をしていたなら、設定がブレるのは自然なことだ。逆に「本物の超常的存在」なら、人間の理解を超えた存在が自分を正確に説明できないのもまた自然かもしれない。どちらにも取れるから厄介だ。

ケイトの声は同時に複数の場所で聞こえることもあったとされている。家の中で声がしているのに、離れた場所にいた人間も同じ時間に声を聞いたという証言がある。これが本当なら、一人の人間がやっていたとは考えにくい。ただ、「同じ時間」という認識が当時の人間の感覚に頼っている以上、正確かどうかはわからない。

アンドリュー・ジャクソンが調査に来た

この事件が広く知られるようになった大きな理由のひとつが、ジャクソン将軍の訪問だ。当時ジャクソンはすでに「ニューオーリンズの戦いの英雄」として名声を得ていた人物で、その彼がわざわざテネシー州の農場まで怪現象を確かめに来たというのだから、話のスケール感がわかる。

記録によると、ジャクソンの一行がベル家に向かう途中、荷馬車が突然動かなくなったという。馬が進まなくなり、車輪を調べても何も問題がない。そのとき空中から声が聞こえて「もう行っていいよ」と言ったとたん、荷馬車がまた動き出した——という話が伝わっている。ジャクソン自身がこの体験に相当動揺したとも言われる。

ただ、この話もリチャードの記録が主な出典であることを頭に置いておく必要がある。ジャクソンの側の記録には、この訪問についての詳細がほとんど残っていないからだ。事実なのか、後から付け加えられた話なのか、判断が難しい部分だ。

ジャクソンの一行にいた「霊媒師」の話

ジャクソンが連れていたグループの中に、自称「霊退治の専門家」がいたという記録がある。その男は到着するなり「自分がこの霊を退治してやる」と豪語していた。ところがその夜、ケイトはこの男を真っ先に標的にした。

見えない力で殴られ、つねられ、最後には悲鳴を上げて家の外に飛び出した——と伝えられている。ジャクソンはこの光景を見て大笑いしたとも、顔面蒼白になったとも言われていて、どちらが本当かはわからない。

ただ、この一件でジャクソンの一行は予定より早く引き上げたとされている。「一晩泊まって調査する」はずが、一夜も持たなかったというのだから、何かしらの衝撃的な体験があったのだろう。仮にすべてが作り話だとしても、「将軍が逃げ帰った」という物語の力は強烈だ。それが事件の知名度をさらに引き上げることになった。

ジョン・ベルの死

1820年の12月、ジョン・ベルが亡くなった。起き上がれないほど体調を崩していたところ、朝になって家族が呼んでも目を覚まさなくなっていたという。枕元には見慣れない小瓶が置かれていて、中には正体不明の液体が入っていた。

その液体を猫に飲ませてみると、しばらくして猫が死んだ——という話が残っている。ジョンは毒殺されたのかという疑いも当時あったようだが、正式な調査はされなかった。

ジョンが死んだとき、「ケイト」の声は満足げに笑ったと記録にある。それが本当なら、かなり後味の悪い話だ。

ジョンが亡くなると、怪現象は徐々に落ち着いていった。そして1821年ごろにはほぼ完全に収まったとされている。

ジョンの死後に残された家族のその後

ジョンが亡くなった後、ベル家はどうなったのか。実はこの部分はあまり語られないが、それなりに波乱がある。

妻のルーシーはジョンの死後も農場に残り、1837年に亡くなるまで同じ土地で暮らし続けた。ケイトの声に対して比較的穏やかに接していた彼女がその後も霊に悩まされたという記録はない。むしろ静かな晩年だったようだ。

息子のリチャードは後にこの事件を記録にまとめた人物として知られることになるが、すぐに書いたわけではない。20年以上も経ってから執筆に取りかかっている。その間、彼がどんな思いでいたのかは想像するしかない。「書かなければならない」と思い続けていたのか、「書きたくなかった」けど何かのきっかけで筆を取ったのか。

娘のベスは、怪現象が収まった後に結婚している。彼女がこの事件の「原因」だったのではないかという説は前述の通りだが、ベス自身がそれについて何か語ったという記録は残っていない。一番つらい立場だったのかもしれない。「あなたのせいだったんじゃないか」と言われ続けることの重さは、想像するだけでもきつい。

「ケイト」は戻ってきた?——1828年の再来伝説

怪現象は1821年にほぼ収まったとされているが、話にはまだ続きがある。リチャードの記録によれば、1828年にケイトの声が一時的に戻ってきたという。このときは以前ほど激しくはなく、数週間で消えたとされている。

ケイトは去り際に「107年後にまた戻る」と言ったという話がある。107年後は1935年。その年に何か起きたかというと——特に記録はない。ただし、ベル農場の土地の周辺では「1935年前後に奇妙な現象があった」と語る地元の人間がいたという口伝はある。信憑性は限りなく低いが、こういう話が付け足されていくこと自体が、この事件の生命力を示している。

伝説というのは、終わった後にも成長し続けるものだ。「ケイトは今もあの土地にいる」という語りは、事実かどうかとは別の次元で、この物語を維持する燃料になっている。

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科学的検討

この事件の記録を書いたのは、ジョンの息子リチャードだ。しかも事件から20年以上が経った1846年のこと。記憶は時間とともに変わる。話は語り継がれるうちに盛られる。現代の研究者の多くはそこを指摘していて、家族間の葛藤や精神医学的な要因、あるいは地域コミュニティが生み出した集団心理がからんでいた可能性を挙げている。「超常現象」として語られてきた出来事が、人間的な事情の積み重ねだったとしても、不思議ではない。

いくつか出ている「合理的な説明」

研究者たちが検討してきた説をいくつか挙げると、こんな感じだ。

よく出てくるのが「ベスという娘が関わっていた」という説。ベス・ベルはジョンの娘で、怪現象が起きていた期間にちょうど思春期だった。ポルターガイスト現象の多くは、思春期の子どもが近くにいる家庭で報告されているという統計的な傾向があって、ベスが無意識に(あるいは意識的に)何かをやっていたのではという見方がある。実際、ベスが家を離れているときは現象が弱まったという記述も記録の中にある。

別の角度からは「ジョン・ベルの精神疾患」を疑う声もある。晩年のジョンの行動には不審な点があり、一種の神経疾患を患っていた可能性を指摘する研究者もいる。家族がその症状を「霊の仕業」として解釈したという見方だ。

もうひとつ無視できないのが、地域の噂が雪だるま式に膨らんだという見方だ。最初は小さな話だったものが、近隣の人間が「体験した」「聞いた」という証言を積み上げていくうちに、実態以上に大きくなっていくことはある。200年前の農村コミュニティでは、情報が広まるスピードも、検証される機会も今とは全然違う。

どれが正解とも言い切れないし、複数の要因が組み合わさっていた可能性もある。

腹話術の可能性——声の正体を探る

「空中から声が聞こえた」という現象について、もうひとつ検討されている説がある。腹話術だ。

19世紀のアメリカでは、腹話術は今よりもずっと神秘的な技術として受け止められていた。暗い部屋の中で、声がどこから聞こえてくるかを正確に判断するのは、実はかなり難しい。音源の方向を特定する人間の能力は、視覚的な手がかりがない状況では著しく低下する。誰かが巧みに声の方向を誤認させていた可能性は、ゼロではない。

ただし、ケイトの声は長時間にわたって会話を続け、訪問者の個人的な秘密を言い当てたとも記録にある。これが腹話術だけで説明できるかというと、かなり苦しい。声を出す技術だけでなく、相手の情報を事前に仕入れておく必要がある。不可能ではないが、それだけの手間をかける動機が見当たらない。

もし誰かが「演技」をしていたとしたら、4年間にわたって一度もボロを出さなかったことになる。それはそれで、別の意味ですごい話だ。

それでも「完全な説明」はできていない

合理的な仮説がいくつか出ている一方で、この事件が「これで全部説明できた」という結論には至っていない。目撃者が複数いること、しかも外部から調査に来た人間も現象を体験していること、ジョンの死後に見つかった液体の件。ひとつひとつは説明できても、全部をまとめて説明する理論がまだないのが現状だ。

だからこそ200年近く経った今でも、この事件は話題になり続けている。

一次資料の問題——リチャードの記録をどう読むか

この事件を語るうえで避けて通れないのが、資料の信頼性の問題だ。もっとも詳細な記録は息子リチャードが書いた「Our Family Trouble」だが、これは事件から20年以上経って書かれている。しかも、その間にリチャードがこの話を何度も人に語っていたであろうことを考えると、記録が「純粋な記憶」だったかどうかは疑わしい。

人間の記憶は、語るたびに書き換えられる。これは現代の認知心理学が明らかにしていることだ。何度も語り直すうちに、細部が変わり、印象的なエピソードがより鮮明になり、曖昧な部分が「こうだったはずだ」と補完される。リチャードの記録にもそうした変質が含まれている可能性は高い。

もうひとつの資料は、地元の新聞記者マーティン・イングラムが1894年に出版した本だ。これはリチャードの記録を元にしつつ、地元で集めた証言も加えたものだが、出版時点で事件から70年以上が経っている。証言者の多くは直接の目撃者ではなく、「親から聞いた」「祖父から聞いた」という伝聞だった。

つまりこの事件の記録は、すべてが何重にもフィルターがかかった状態で残っているということだ。それを「だから信用できない」と切り捨てるのは簡単だが、「にもかかわらず複数の独立した証言が存在する」という点は無視できない。真実はおそらく、記録されたものと実際に起きたことの間のどこかにある。

現地・テネシー州アダムズの今

今のアダムズは人口数百人の小さな町だ。でもベル・ウィッチの名前は今も残っている。ベル農場があった土地の近くには「ベル・ウィッチ洞窟」と呼ばれる場所があって、観光スポットになっている。洞窟の中でも霊的な現象が起きたという証言が昔から多く、心霊スポットとして訪れる人が絶えない。

洞窟の見学ツアーも開催されていて、地元の人たちが案内してくれる。ガイドによっては「実際に変なことが起きた」という体験談を語ってくれることもあるらしい。アメリカの心霊観光地として、今でも一定の人気がある場所だ。

毎年10月のハロウィン前後には、この事件にちなんだイベントが開かれることもある。地元にとってはある意味、地域の歴史の一部として根づいている話なんだろうと思う。

洞窟の中で報告されている現象

ベル・ウィッチ洞窟は、ベル家の農場の敷地内にあった天然の鍾乳洞だ。事件当時から「ケイトが洞窟に出入りしている」という話があったとされる。

現代の訪問者からも不思議な報告は上がっている。写真に説明のつかない光や影が映り込む、洞窟内で急に気温が変わる、触られた感覚がある——そういった体験談だ。もちろん、洞窟という環境自体が心理的に不安を煽りやすい場所であることは差し引いて考える必要がある。暗くて狭い空間に入れば、人間の感覚は過敏になる。風の流れが「息づかい」に感じられることもあるし、水滴の反射が「光」に見えることもある。

それでも、あの場所に立つと何かしら感じるものがある——と語る人は少なくない。科学的な証拠にはならないが、200年間にわたって同じ場所で同じような体験が語り続けられているというのは、それ自体がひとつの現象ではある。

映画・メディアでの扱われ方

この事件は何度も映像化されている。2006年にはハリウッドで「An American Haunting(邦題:悪霊伝説 ベル・ウィッチの呪い)」という映画が作られた。実話ベースを謳っていて、そこそこヒットした。ただ映画的な脚色が強めで、史実とはだいぶ違う部分も多い。

ドキュメンタリーやホラー番組でも定番のネタとして繰り返し取り上げられていて、アメリカの「実話怪談」ジャンルの中では特別な位置づけの事件だと言っていい。

なぜこの事件はここまで有名になったのか

アメリカの心霊事件は数え切れないほどあるのに、ベル・ウィッチ事件がここまで特別視されている理由はいくつかある。

まず「記録が残っている」ということ。19世紀の怪異体験の多くは口伝でしか残っていないが、この事件にはリチャードによる書籍という形の一次資料がある。信頼性の問題はあるにしても、「読める形で残っている」というのは大きい。

次に「権威ある人物が関わっている」こと。アンドリュー・ジャクソンという、のちの大統領の名前が出てくるだけで、この事件の格が上がる。「農家の怪談」が「国家的人物が関心を寄せた事件」になるわけだ。

そして「死者が出ている」こと。多くのポルターガイスト事件は、恐ろしくはあっても命に関わることは少ない。でもベル・ウィッチ事件ではジョン・ベルが亡くなっている。超常現象が人を殺した——そういう文脈で語られることが、この事件を他と分けている。真相が毒殺であれ病死であれ、「霊が人を殺した」という物語の力は圧倒的だ。

似た事件と比べてみると

日本で言えば、こういった記録の残る怪現象事件は意外と少ない。海外に目を向けると、1970年代のイギリスで起きた「エンフィールドのポルターガイスト事件」が似た構造を持っている。思春期の子どもがいる家庭で怪現象が続き、複数の目撃者が存在して、後年になって懐疑的な検証が加えられるという流れだ。

エンフィールド事件では写真や音声録音も残されていて、証拠の量ではベル・ウィッチを上回る。しかしそれでも「完全な証明」には至っていない。記録があればあるほど、検証する余地も増える。そして検証するほど、白黒つけるのが難しくなる。皮肉な話だ。

どちらの事件も「完全な解明」に至らないまま、今も「本当に何があったのか」という問いが残り続けている。時代も場所も違うのに、同じ問いが残るというのは、それ自体がなかなか興味深い話だと思う。

19世紀アメリカの精神風土と超常現象

ベル・ウィッチ事件を理解するうえで欠かせないのが、当時のアメリカの精神的な風土だ。19世紀初頭のアメリカ南部は「第二次大覚醒」と呼ばれる宗教復興運動の真っ只中にあった。キャンプ・ミーティングと呼ばれる野外集会では、人々がトランス状態に陥ったり、異言を話したり、倒れて痙攣したりすることが珍しくなかった。

こうした環境では、超自然的な出来事に対する「受け入れの閾値」が今とはまるで違う。霊の声が聞こえるという話は、現代なら即座に疑われるが、当時の宗教的な文脈では「神の試練」や「悪魔の介入」として理解される素地があった。ベル家が教会の長老の家庭であったことも、この文脈では重要だ。宗教的な枠組みの中で解釈される出来事は、その枠組みの中でリアルになる。

つまり「当時の人々が嘘をついていた」のではなく、「当時の人々にとってはそれが現実だった」という理解のほうが、おそらく正確に近い。

長尾さんが最初にこの事件を知ったときの話

自分がベル・ウィッチ事件を最初に知ったのは、確かアメリカのホラー関連の記事を読んでいたときだったと思う。「アンドリュー・ジャクソンが調査に行った」という一文が引っかかって、そこから調べ始めた。

大統領になる前の将軍が、わざわざ農家の怪現象を確かめに行く——このビジュアルがまず面白かった。戦場を駆け抜けた人間が、「なんか幽霊が出るらしい」という話に興味を持って動いたわけだ。当時の人たちにとって、超常現象はそれだけリアルな問題だったんだろうと思う。

記録を読んでいくと、「声が聖書を引用した」という部分がなぜか妙に印象に残った。恐ろしさを演出するより、知性的な何かを感じさせるエピソードで、それがかえって気味悪い。怒鳴るだけの霊より、賢い霊のほうが怖いというか。

もちろん全部が本当かどうかはわからない。でもこういう話を掘っていくのは、怖さとは別の楽しさがある。「あの時代の人がこういうことを信じていた」という事実そのものが、歴史として面白いんだよな。

自分でもっと調べたい人へ

ベル・ウィッチ事件を深く知りたいなら、リチャード・ベルが書いた「Our Family Trouble」が一次資料に近い。英語だけど、原文を読むとまた雰囲気が違う。

日本語で読める資料はまだ少ないけど、海外の都市伝説・怪奇現象を扱った本のなかに収録されているケースがある。ポルターガイスト全般に興味があるなら、合わせて調べてみると比較できて面白い。

マーティン・イングラムの1894年の著作も、リチャードとは別の視点で事件を記録していて参考になる。ただし、こちらも伝聞を多く含んでいるから、鵜呑みにせず複数の資料を突き合わせるのが大事だ。

現地に行く機会があるなら、テネシー州アダムズのベル・ウィッチ洞窟は実際に見学できる。「本当に何かが出るか」は保証できないけど、この話の舞台に立つというだけで、感じるものはあると思う。

この事件から考えること

ベル・ウィッチ事件が200年近く語り継がれているのは、単純に「怖い話」だからじゃないと思っている。

ひとつの家族が、説明のつかない出来事に4年以上さらされ続けた。外から見ていた人間も同じものを体験した。家長は死んだ。でも何が起きたのかは、今もわかっていない。

「わからない」がこの話を生き続けさせている。完全に解明された謎には人は集まらない。でも「あれは何だったんだろう」という問いが残り続けると、人はその話を手放せなくなる。

超常現象を信じるかどうかは、人それぞれでいい。ただ「こういう記録が残っていて、今でも答えが出ていない」という事実は、信じる信じないに関わらず面白い。そういう話を探して読んでいくのが、このブログの楽しみ方だ。

結局のところ、ベル・ウィッチ事件が投げかけているのは「人間は自分が体験したことをどこまで正確に語れるのか」という問いでもある。記録に残っている以上、何かは起きた。でもそれが何だったのかを、200年後の自分たちが正確に知ることはできない。その「知りえなさ」こそが、この事件をいつまでも魅力的にしているんだと思う。

まあ、200年近く前の話なのに未だに決着がついてないってのが、この手の事件の醍醐味だよな。気になったら自分でも掘ってみてくれ。じゃあまた夜更かしの夜に会おう、シンヤでした。

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